父は救世軍司令官の山室軍平、救世軍の母と称された山室機恵子(共に同墓)。兄は社会事業家の山室武甫(同墓)、姉に同じく社会事業家の山室民子(同墓)。また育ての親となる軍平の後妻の山室悦子(同墓)がいる。
自由学園女子部卒業(8回生)。卒業後、1931.7(S6)美術工芸の技術発展、織物や染色などの専門技術取得を求め、同期の笹川和子(旧姓は今井)と一緒にヨーロッパに渡りチェコスロバキア国立工芸学校で工芸の基礎を学ぶ。
翌年、ベルリンに移り、ドイツの造形学校「バウハウス」で基礎教育を担当していたヨハネス・イッテンの私塾「イッテンシューレ」にて工芸基礎教育を学んだ。山室と笹川はイッテンから直接学ぶ機会を与えられ、独自の造形論及び色彩論、日本の「詫び・寂び」とも通じる「精神・感性」などを教わり感銘を受ける。イッテンに直接学んだ日本人唯一とされる。
'32.11帰国し、自由学園工芸研究所創立に参画。自由学園美術教師となり、多くの教え子を輩出した。
<日本経済新聞 2013/5/9夕刊・16面「モダンデザインの系譜」柏木博など>
*墓所正面「山室軍平墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側の軍平墓側から、軍平の前妻の「山室機恵子之墓」、前面には「幸福は唯十字架の側に在り 安藤太郎 謹書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の後妻の「山室悦子之墓」、前面には「蘇峯徳富正敬 書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の子息の墓誌碑で「喜びをもって主に仕えよ」と刻み、下記5名が刻み、裏面に生没年月日が刻む。山室民子(長女:1900.9.18-1981.11.4)、山室光子(二女:1911.3.18-1999.1.10)、山室徳子(五女:1918.9.15-2006.3.16)、山室潔(五男:1921.12.20-1999.12.25)、山室恵美(1924.5.30-2007.1.17)。墓所左側に墓誌が建ち、早死した軍平の子息らが刻み、武甫、典子(1944.8.21-1993.2.4)と続く。武甫の後妻で作家の阿部光子(1912.12.25-2008.2.26)の刻みはないので、同墓に眠っているかは不明。
*2014.4自由学園工芸研究所は消費経済研究部と統合し名称を「自由学園生活工芸研究所」と変更。
第349回 日本救世軍 山室軍平一族 山室機恵子 山室悦子 山室武甫 山室民子 山室光子 お墓ツアー The Salvation Army Japan
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