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にのみや けんいち

二宮健市

にのみや けんいち

1877.5(明治10)〜 1935.5.4(昭和10)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 22区 1種 14側

 広島出身。旧姓は藤田。1902.11.22(M35)陸軍士官学校卒業(14期)。同期に西尾寿造(後に大将:16-1-8)、古荘幹郎(後に大将:20-1-18-11)、佐村益雄(後に中将:12-1-13-41)、橋本虎之助(後に中将:13-1-7)、森田宣(後に中将:24-1-1)、山室宗武(後に中将:15-1-1)、児玉源太郎(8-1-17-1)の三男の児玉友雄、山内保次(後に少将:12-1-31)らがいる。 '03.6.26歩兵少尉に任官。途中で憲兵に転科。
 様々な要職を経て、'25.3.2(T14)東京憲兵隊長、同.8.7憲兵大佐に進み、'29.3.16(S4)関東憲兵隊長を歴任し、'30.8.1少将に昇進した。
 関東憲兵隊は新京・奉天・ハルピン・チチハル・牡丹江・錦州・承徳延吉・間島・吉林・鶏寧・阿爾山・興安・通化・四平・鞍山北安・孫呉・大連・チャムス・東安・ハイラルの各憲兵隊を管轄。'30秋に関東軍(中国や満州に地域に駐留した大日本帝国陸軍の総軍の一つ)が単独で閻錫山(えん しゃくざん:中華民国の軍人・政治家)を標識を塗りつぶした日本航空機(操縦士も民間人)で周水子飛行場から山西に送り込んだ事件が起きた。これを知った関東庁が軍に抗議した際に、二宮が仲裁役となった。しかし、その後も関東軍の動きは活発となり翌年の柳条湖事件・満州事変へと動き出していった。
 '32.6.8関東憲兵隊長の名称が関東憲兵隊司令官に変更するもそのまま継続した。同.8.8待命、同.8.30予備。享年59歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<講談社日本人名大辞典など>


墓所

*墓石は和型「二宮家之墓」。右側に墓誌があり「陸軍少将 従四位 勲二等 功四級 二宮健市」と没年月日が刻む。


【憲兵(けんぺい)】
 大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し、主として軍事警察を掌り、兼て行政警察、司法警察も掌る兵科区分の一種。兵科の少将以上は兵科区分がないため、憲兵特有の階級としては陸軍憲兵大佐以下の官(階級)が設けられた。他の兵科(兵種)と異なり、戦時の消耗が少なく、また目立つ任務ではないことから功績を挙げにくく、軍楽部と共に昇進が難しい兵科各部とされた。平時では多くが伍長で予備役編入、軍曹や曹長、准士官にまで昇進できるのはごく一部の者だけであった。


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