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きねむら ひさぞう

杵村久蔵

きねむら ひさぞう

1891.12.28(明治24)〜 1938.8.2(昭和13)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 16区 1種 3側

 鳥取県米子市立町出身。農家の杵村梅蔵の子。1913.5.26(T2)陸軍士官学校卒業(25期)。同期に小倉尚(後に中将:22-1-62)、船引正之(後に中将:24-1-61)、山崎保代(後に中将:19-1-2)、吉岡安直(後に中将:3-1-14)、岡本徳三(後に少将:9-1-19)らがいる。同.12.25歩兵少尉に任官。'20.11.22陸軍大学校を優等(恩賜)で卒業(32期)。同期に土橋勇逸(後に中将:21-1-14)らがいた。
 '23陸軍省軍務局附としてアメリカに駐在。帰朝後、'26.3.11教育総監部課員、'28.8.10(S3)少佐となり歩兵第78連隊附、'29.8.1歩兵第78連隊大隊長を経て、'30.8.1再び教育総監部課員を務めた。'32.8.8中佐に進級し、王公族附武官となり、李王垠附属となった。
 '35.8.1歩校研主事(陸軍歩兵学校研究部主事)兼 歩兵学校教官を経て、'36.8.1大佐に昇進し、朝鮮軍隷下の第20師団参謀長に任命された。'37.7日中戦争が勃発し中国に渡るが、翌年、中華民国山西省聞喜で高熱や発疹を伴う細菌感染症の一種である腸チフスに罹り戦病死した。享年46歳。没後1階級特進し少将となった。従4位 勲3等 功3級。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


墓石、裏

*墓石は和型「杵村家之墓」。墓石左面に「陸軍少将 杵村久蔵」と没年月日と没地が刻む。裏面に「昭和十四年五月 杵村博建之 / 陸軍中将 西尾壽造建書」と刻む。墓所左側に墓誌があり、戒名は誠忠院殿久岳知遠大居士。墓誌には48才と刻む。

*当時の西尾寿造(16-1-8)は支那事変勃発に伴い第2軍司令官の任にあった。


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