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つちはし ゆういつ

土橋勇逸

つちはし ゆういつ

1891.1.1(明治24)〜 1972.5.31(昭和47)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 21区 1種 14側

 佐賀県出身。熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1912(M45)陸軍士官学校(24期)卒業。同期に鈴木宗作大将や上田勝(後に少将:20-1-21)、甘粕事件の甘粕正彦(後に大尉:2-2-16)、劇作家に転身した岸田國士(18-1-10-1)がいる。
 歩兵少尉に任官し歩兵第37連隊付、天津駐屯歩兵隊付となる。'20(T9)陸軍大学校(32期)卒業。'21参謀本部付となり、次いで参謀本部員に就任。 '23陸軍委託学生として東京外国語学校でフランス語を一年間学んだ。'24〜'27(T13.7〜S2.1)フランスに駐在。この間、国際連盟代表随員、陸軍省軍務局軍事課員を歴任。 '28.11に鈴木貞一、根本博、武藤章、石原莞爾らと研究会(無名会)が発足し、後に永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、東条英機、板垣征四郎、河本大作らの二葉会に合流、会合では日中戦争にいたる対中国政策の展開が議論され、満蒙問題や爆殺事件が論じられた。
 '30歩兵第1連隊大隊長となり、参謀本部員、欧州出張、軍務局軍事課高級課員などを経て、'35.8.1陸軍歩兵大佐となって歩兵第20連隊長になった。 '37.8.2フランス大使館付武官を経て、'38.7.15陸軍少将。'39.5.20参謀本部付となり、次いで、8.1第21軍参謀長に就任して日中戦争に出征した。 同年.12.1参謀本部第2部長、'40.12.7支那派遣軍総参謀副長、12.24より中国大使館付武官を兼務した。'41.8.25陸軍中将。同年.9.15第48師団長に親補され台湾に駐屯。
 太平洋戦争開戦により、フィリピンの戦い、蘭印作戦に参加し、その後、ティモール島の警備に従事した。'44.11.22仏印駐屯軍司令官となり、翌月に印度支那駐屯軍が第38軍に改編後も引き続き司令官を務めた。 '45.3仏印総督代行を兼務し終戦をハノイで迎えた。戦後、'46.4戦犯容疑により広東で抑留され、'48.1サイゴンでの抑留となった。'49.7不起訴処分となり、翌年6月に復員した。功3級。勲1等瑞宝章。享年81歳。

<帝国陸軍将軍総覧など>
<孫の原様より情報提供>


*父方の孫にあたられる原孝様より情報を提供いたしました。なお、原様からみて母方の曽祖父は漢学者の小柳司気太(19-1-13-24)とのことです。


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