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うえだ まさる

上田 勝

うえだ まさる

1889(明治22)〜 1941.5.13(昭和16)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 20区 1種 21側

 島根県出身。1912.5.28(M45)陸軍士官学校卒業(24期)。同期に鈴木宗作大将や土橋勇逸(後に中将:21-1-14)、佐藤鐵馬(後に大佐:2-1-4-13)、甘粕事件の甘粕正彦(後に大尉:2-2-16)、堀江一正(後に大尉:21-2-9)、劇作家に転身した岸田国士(18-1-10-1)らがいる。同.12.24(T1)歩兵少尉に任官。様々な要職を経て、'38.3.1(S13)独立歩兵第19大隊長となり、同.7.15歩兵大佐に昇進した。
'39.3.9千葉聯隊区司令官となり、'40.9.16歩兵第227聯隊長として日中戦争に出征。翌.5.13中条山脈にて戦死した。没後、1階級特進し少将に進級。 功三級。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


墓所

*墓石は和型「陸軍少将 上田 勝 之墓 / 累代之墓 / 陸軍中将 谷 壽夫 書」。裏面「昭和十七年三月 上田 厚士 建之」と刻む。左右に墓誌が建ち、右側の墓誌に簡略歴などが刻む。「歩兵第二百二十七連隊長として北支山西省に於て作戦中戦死す。享年五十二才」と刻む。妻はサカヨ。(H7.8.20歿)。「夫 勝の戦死後五十四年克く天寿を全うし、孫 曾孫に囲まれて逝く。享年九十七才」とあり、「嗣子厚士誌之」と刻む。

*上田勝・サカヨの長男の上田厚士(H26.7.20 93才歿)は陸軍中尉でビルマの飛行第六十四戦隊で一式戦の整備をした。妻は奎子。左側の墓誌に刻む。

*墓石の書を書いた谷寿夫(13-1-21)も多磨霊園に眠る。


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