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さとう てつま

佐藤鐵馬

さとう てつま

1891.10.17(明治24)〜 1950.3.18(昭和25)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(大佐)、軍事評論家

埋葬場所: 2区 1種 4側 13番

 東京出身。陸軍中将の佐藤鋼次郎、志げ(共に同墓)の長男。
 1912.5.28(M45)陸軍士官学校卒業(24期)。同期に鈴木宗作(後に大将)、土橋勇逸(後に中将:21-1-14)、上田勝(後に少将:20-1-21)、甘粕事件の甘粕正彦(後に大尉:2-2-16)、堀江一正(後に大尉:21-2-9)、劇作家に転身した岸田国士(18-1-10-1)らがいる。同.12.24(T1)歩兵少尉に任官。
 その後、様々な要職を歴任。この間、'23 没した父が遺した旅順攻囲戦についての詳細な手記を編纂し『日露戦争秘史:旅順を落とすまで』(1924)を刊行。
 '28.3.24(S3)砲兵少佐、'32.8.8 中佐と昇進し、野砲兵第4聯隊附となる。'34.8.1 野砲兵第20聯隊附を経て、'36.8.1 砲兵大佐に進級、待命被仰付。同.8.29 予備役に編入した。
 予備役編入後は父と同じく軍事評論家として活動。'37『最良救国策は是だ』、'42『英霊に祷る』などを著した。

<陸海軍将官人事総覧>
<人事興信録など>


墓所

*墓石は和型「佐藤家代々之墓」。左側に墓誌が建つ。祖父の佐藤金左衛門安信、祖母の千代子から刻み、父の佐藤鋼次郎と続く。鋼次郎のところには「陸軍中将 正四位 勲二等 功四級」と刻む。母は志げ。鐵馬(陸士24期・砲兵)のところには「陸軍大佐 正五位 勲三等」と刻む。なお、妹の文子は陸軍少将の宮地忠文に嫁いだ。


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