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かつらぎ しげまろ

葛城茂麿

かつらぎ しげまろ

1908.4.29(明治41)〜 1947.1.10(昭和22)

明治・大正・昭和期の元皇族、
伯爵、陸軍中佐

埋葬場所: 16区 1種 5側 9番

 東京出身。父は山階宮菊麿王、母は菊麿王妃常子の第五王子として生まれる。誕生した三日後に父が36歳の若さで亡くなっている。兄で山階の家名を継ぎ、山階鳥類研究所を主宰した山階芳麿。その他の兄の筑波藤麿(7-1-15)、鹿島萩麿(8-1-5-5→現在は墓じまい)は同じく臣籍降下している。
 学習院中等科卒業後、皇族の息子はすべて軍人になるのが慣習のため軍人の道を歩む。'29.10.25(S4)陸軍士官学校卒業(41期)。同期に広島で参謀を務めていて時に被爆した経験等を著述した陸軍中佐の長谷川壽雄(13-1-7)、陸軍中佐から戦後は航空自衛隊空将となった水町勝城(13-1-6)、稲波弘次(後に少佐:7-2-32-2)、2.26事件で岡田啓介(9-1-9-3)首相襲撃の実行犯の一人である栗原安秀や、高橋是清(8-1-2-16)蔵相襲撃の実行犯の一人である中橋基明らがいた。
 前年の '28.4.28 から貴族院皇族議員にも就任している。またこの年(1928)に兄の筑波藤麿、鹿島萩麿が臣籍降下したこともあり、また士官学校卒業したことも重なったため、'29.12.24(S4)自ら臣籍降下を願い出て認められる。「葛城」の家名を賜り、伯爵に叙せられた。臣籍降下に伴い貴族院皇族議員資格が消滅した。なお、同.10.25 勲一等旭日桐花大綬章。
 陸軍では、'42 陸軍少佐として第七陸軍技術研究所幹部になる。その後、陸軍中佐まで進み終戦を迎えた。
 戦後、'47 白血病にて38歳の若さで亡くなった。陸軍在籍中に原子爆弾の研究に関わり被曝したことが原因ではないかとされている。


墓誌

*墓所は土饅頭型。左側に標石「葛城家墓所」。右側に墓誌が建ち、「山階宮菊麿王第五王子として誕生。昭和四年十二月二十四日葛城の家名を賜う」と刻み、「茂麿 初代」から始まる。茂麿長女の由子(S24.3.6歿・10才)、妻の敏子(H5.5.14歿・79才)、長男で二代の茂久(H12.4.14歿・65才)が刻む。

*妻の敏子は侯爵の細川護立の長女。2男2女を儲ける。長男は茂久、二男は茂敬、長女は由子、二女は伸子。父が早くなくなったため、長男は茂久は二男の茂敬を養子にしている。二女の伸子は航空宇宙工学者の志甫徹に嫁いだ。なお妻の敏子は茂麿と死別後、中島飛行場の中島知久平(9-1-2-3)の甥の中島昭吉と再婚した。再婚したが葛城家の墓誌に刻みがある。



第454回 臣籍降下 元皇族 伯爵 陸軍で原子爆弾の研究 被曝
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