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みずまち かつき

水町勝城

みずまち かつき

?〜 1986.3.7(昭和61)

昭和期の陸軍軍人(中佐)、航空自衛隊(空将)

埋葬場所: 13区 1種 6側

 父は張作霖爆殺事件で譴責させられた陸軍少将の水町竹三(同墓)。妻は俊子(2006.9.13没)。義父は陸軍中将の川岸文三郎(3-1-24)。
 1929.10.25(S4)陸軍士官学校卒業(41期)。同期に皇族の茂麿王(後に臣籍降下した葛城茂麿。伯爵・陸軍中佐:16-1-5-9)、広島で参謀を務めていて時に被爆した経験等を著述した陸軍中佐の長谷川壽雄(13-1-7)、稲波弘次(後に少佐:7-2-32-2)、2.26事件で岡田啓介(9-1-9-3)首相襲撃の実行犯の一人である栗原安秀や、高橋是清(8-1-2-16)蔵相襲撃の実行犯の一人である中橋基明らがいた。
 '37陸軍大学校を優等で卒業(49期)。歩兵大尉として航空本部部員に任官。終戦時は陸軍第6航空軍の作戦主任参謀・陸軍中佐。
 戦後は航空自衛隊に入隊。空将補として、'54.9.1静岡県浜松基地に設立された通信学校の初代校長に就任。航空教育集団直轄の教育機関の学校である。'55.9.19離任。 翌日より通信学校は航空自衛隊第2術科学校と名称を改編している。1955.9.20第2代 航空自衛隊幹部学校長に就任。航空自衛隊の最高教育機関としての防衛大臣直轄の学校である。 '56.7.10航空幕僚監部教育部長、防衛研修所副所長を経て、空将となり、'61.7.25北部航空方面隊司令官に就任。'63.8.1航空幕僚長付、'63.12.31退職した。


*墓石は和型「水町家之墓」。墓誌があり、俗名、続柄、没年月日が刻む。


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