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かたやま あきひこ

片山明彦

かたやま あきひこ

1926.11.11(大正10)〜 2014.11.16(平成26)

昭和期の俳優

埋葬場所: 16区 1種 15側 21番〔鹿児島家〕

 京都府出身。本籍は東京世田谷。本名は鹿児島燁彦(あきひこ)。父は映画監督の島耕二(同墓)、母は女優の大谷良子(離縁)の長男として生まれる。父が再婚した女優の片山夏子に育てられる。芸名を育ての母親の姓の「片山」とし、名前の燁彦の漢字が難しいため「明彦」とした。
 暁星中学校・高等学校卒業。戦前、1937(S12)日活多摩川の子役としてデビュー。デビュー作は田坂具隆監督『真実一路』。この作品には父の島耕二もキャストで出演している。'38田坂具隆監督『路傍の石』では愛川吾一の役で初主演。この作品は文部省推薦映画の第1号に指定されており、キネマ旬報ベストテンでは1938年度の第2位に入った。'40父の島耕二監督『風の又三郎』でも主役を務めた。'45長崎県大村市の西部方面後方支援隊に召集されるまで、19作品に名子役として出演した。
 1945年 戦争で召集され、長崎県大村市に派遣されたが、その地で終戦。
 戦後はフリーで大映・東宝・松竹・新東宝・東映を渡り歩きながら、'54より松竹に腰を据え、'59より父が大映に迎え入れられたことを契機に移籍、大映では40本以上の作品に出演で、父が監督を務める作品では準主役として抜擢された。以降、70年代前半まで俳優として活動した。
 '47『素浪人罷通る』(大映:伊藤大輔監督)で天一坊の役を務めた。この作品は天一坊が徳川吉宗の実子と言う設定である。徳川吉宗役は14代目 守田勘彌 (1-1-6-8)。戦後の主な作品は、'50長編映画『當り矢金八捕物帖 千里の虎』(中川信夫監督)で新吉の役、'51大岡昇平(7-2-13-22)の恋愛小説『武蔵野夫人』(溝口健二監督)で宮地勉の役、'52ラジオドラマのヒットから映画化した『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(プロデューサー佐藤一郎)で孫正彦の役、'52田中絹代の代表作『おかあさん』(永島一朗製作)で福原進の役、'53日本映画で初めて戦艦大和を題材とした大規模な特撮作品『戦艦大和』で西田少尉の役、'53『青春ジャズ娘』で後藤晴彦の役にて主演、'54美空ひばりが出演した『伊豆の踊子』(野村芳太郎監督:松竹)で水原栄吉の役、'54-'55戦後初の怪人二十面相の登場する江戸川乱歩(26-1-17-6)の作品『青銅の魔人』で水野元侯爵の役、'55-'56雑誌「明星」に連載された北条誠の大ヒット小説の映画化『この世の花』で吉野俊吉の役、'55長篇劇映画『下郎の首』(伊藤大輔監督)で結城新太郎の役、'57朝日新聞に連載された佐多稲子による長編小説の映画化『体の中を風が吹く』で安川啓太郎の役、'58加藤芳郎の漫画作品の映画化『オンボロ人生』でシャンソンの役、'58ブラックコメディ作品『悪女の季節』(渋谷実監督)で殺し屋の秋ちゃんの役(主役は東野英治郎、共演に岸田今日子、神山繁)、'59山梨県を舞台にした全盲の少年ヴァイオリニストとウィーン少年合唱団の交流を描いた作品『いつか来た道』で野口時男の役、'60松本清張の長編推理小説の映画化『黒い樹海』で大島卯介の役、'62泉鏡花の小説の映画化『婦系図』で河野英吉の役、'67ザ・ベンチャーズが日本で発売した本楽曲のヒットにより映画化となった『二人の銀座』で小泉の役、'67NHK連続テレビ小説のヒットより映画化『旅路』で勇介の役、'70中村錦之助・三船敏郎・仲代達也・吉永小百合・中谷昇など早々たる俳優陣たちと出演した『幕末』(伊藤大輔監督)で中平寅之助の役に出演し、これが映画の最後の作品となる。
 映画以外にテレビドラマでも活躍し、'64松本清張の作品『西郷札』で主演、その他多数出演をし、'73必殺仕掛人シリーズの第19話での出演を最後にテレビからも離れた。他にラジオのMBS競馬中継では司会も務めた。心不全のため逝去。享年88歳。

<芸能人名事典>
<訃報記事など>


*墓石は「鹿兒島家之墓」。左面「昭和三十四年九月建之」。そのほか墓石には刻みがなく、墓所に墓誌などもない。島耕二の弟子の映画監督の水野洽(9-2-40-1) の息子様から情報をいただきました。



第483回 映画監督と俳優 親子 島耕二 片山明彦 お墓ツアー


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