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はっとり けんたろう

服部謙太郎

はっとり けんたろう

1919.4.8(大正8)〜 1974.9.1(昭和49)

昭和期の封建社会成立史学者、実業家(セイコー)

埋葬場所: 6区 1種 1側 10番

 東京出身。祖父はセイコー創業者の服部金太郎(同墓)。父は服部時計店2代目社長の服部玄三(同墓)・英子の長男として生まれる。弟に服部禮次郎。
 慶応大学経済学部卒業。学徒出陣で兵役に就いたあと、戦後は大学の研究生活を求めて、母校の慶応義塾大学経済学部助教授に就任し、封建社会成立史論の研究に従事。 しかし、周囲から懇願、説得されて、1949(S24)30歳の時に第二精工舎の監査役に就任。'51取締役。'53慶応義塾大学経済学部助教授辞任し、第二精工舎常勤取締となる。
 '54服部時計店取締役に就任、翌年には第二精工舎常務取締役(代表)就任、次いで、'57専務取締役(代表)となった。 '65服部時計店専務取締役就任、'67副社長、'74.7.29(S49)3代目社長の服部正次の死去に伴い、4代目社長に就任するも、同年.9.1わずか約1ヶ月後に没す。享年55歳。 戒名は渓泉院法篤日謙居士。妻は桂子。長男は純市(セイコーインスツル元会長)、次男は真二(2010年現在のセイコー社長)。


*服部家の墓所は入って右に折れると正面に「服部金太郎墓」が建つ。母は服部まん。金太郎の墓を正面にして左手側に「服部家之墓」、隣りに墓誌がある。墓誌には祖父の服部喜三郎、祖母の服部春子(墓誌には「はる」)、早死した服部英介、父の服部玄三、母の服部英子、自身の服部謙太郎、妻の服部桂子が刻む。なお、3代目社長で世界のセイコーに躍進させた叔父の服部正次は鎌倉霊園に眠る。よって、正次の長男で従兄弟のセイコーエプソム初代社長を務めた服部一郎も鎌倉霊園である。

*6代目社長になる予定であった服部純市はセイコーインスツル(SII)をクーデターにより追放された。

*2010.4.30セイコー取締役会が村野晃一社長を解任し、副社長であった服部真二を10代目社長に就任させた。これにより、5代目社長の服部禮次郎が会長に就いて以降、創業者家系ではない社長が続いていたが、再び戻った事になった。なお、この解任劇の狙いは、大株主で名誉会長の服部禮次郎と、その秘書として異例の出世を遂げた鵜浦典子取締役、2人の影響力を排除することだった。結果、服部禮次郎は名誉会長という名誉職だけ残し、鵜浦は子会社すべての役職、取締役から退くことが6月の株主総会で決まった。


【服部家】(クリックで拡大)

服部家 家系図


【セイコー歴代社長】
創業者服部金太郎社長在任期間:1881〜1934
2代目服部玄三社長在任期間:1934〜1946
3代目服部正次社長在任期間:1946〜1974
4代目服部謙太郎社長在任期間:1974
5代目服部禮次郎社長在任期間:1974〜1987 *その後、9代目までは会長として権限を持ち続け、10代目から名誉会長。
6代目吉村司郎
7代目関本昌弘
8代目井上仲七
9代目村野晃一
10代目服部真二社長在任期間:2010〜


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