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はっとり はるこ

服部春子

はっとり はるこ

1831(天保2)〜 1915.4.10(大正4)

明治期の実業家(セイコー)

埋葬場所: 6区 1種 1側 10番

 服部金太郎の母。銀座にほど近い采女(うねめ)町で古物商「尾張屋」を営んでいた服部喜三郎と結婚し、一子であった長男の金太郎を儲ける。 1887(M20)夫の服部喜三郎と死別後、金太郎を助け服部時計店(セイコー)の基礎を築いた。
 1892東京本所に時計工場精工舎が設けられると、61歳で工場監督の任にあたり、数百人の職工や徒弟と苦楽をともにした。享年84歳。戒名は精工院妙徳日慈大姉。
 春子の遺志で東京市養育院に5000円、がん研究所に2000円、本所、京橋、芝各区の奨学資金に各1000円が寄付され、精工舎職工ら一同に2000円が贈られた。

<日本女性人名辞典>


墓所

*服部家の墓所は入って右に折れると正面に和型「服部金太郎墓」が建つ。右面に戒名の正道院社渓日信居士、没年月日、享年七十三と刻む。隣りに妻の まん の戒名の誠信院妙道日曼大姉、常和十三年三月十三日歿、享年七十三と刻む。金太郎の墓を正面にして左手側に「服部家之墓」、裏面「昭和十八年四月 服部玄三 建之」と刻む。金太郎の墓と服部家の墓の間に墓誌が建つ。墓誌には金太郎の父の服部喜三郎から刻みが始まり、母の春子(墓誌には「はる」:片野重五郎の長女)、早死した服部英介、2代目社長の服部玄三、玄三の妻の服部英子、玄三の長男で4代目社長の服部謙太郎、謙太郎の妻の服部桂子が刻む。

*服部金太郎と妻の まん(山本兼十郎の長女)の間に4男11女を儲けている。長男は玄三(同墓)。長女のぶ(M16生)は日銀文書局長の清水賢一郎に嫁いだ。二女なを(M19生)は宮城県知事を務めた牛塚虎太郎に嫁いだ。三女セキ(M23生)は龍居頼三の二男、龍居豊に嫁いだ(豊の兄の龍居松之助は著名な造園家)。四女ゆき(M24生)は医学博士の松山陸郎に嫁いだ。五女せい(M25生)。六女かう(M28生)は杉村米次郎に嫁いだ。七女貞子(M29生)は紀長伸銅所社長の河田源蔵に嫁いだ。八女まさ(M30生)は日本活字鋳造監査役の中原繁之助に嫁いだ。九女登志(M31生)。二男は正次。十女好子(M34生)は農林省官吏の吉田清二に嫁いだ。三男は武三郎は服部時計店取締役や監査役を務めた。四男の英介(1903-1909.2.23(M43)は早死で同墓に眠る。十一女秀子(M40生)は民事訴訟法学者の仁井田益太郎(23-1-1)の二男の東洋製作所常務を務めた仁井田甲斐(23-1-1)に嫁いだ。

*3代目社長で世界のセイコーに躍進させた金太郎の次男の服部正次は鎌倉霊園に眠る。よって、正次の長男でセイコーエプソム社長を務めた服部一郎も鎌倉霊園である。なお、正次の次男の のぼる(高+欠)はセイコーエプソン特別顧問、妻は女優の鰐淵晴子。三男の靖夫はセイコーエプソン副会長を務めた。

*2代目社長の服部玄三の次男で4代目社長の服部謙太郎の弟である、5代目社長の服部禮次郎(1921.1.11-2013.1.22)は墓誌に刻みはない。なお禮次郎の妻はヴァイオリニストの服部豊子、息子はヴァイオリニスト・指揮者の服部譲二。譲二の妻の悦子の伯母は御木本隆三の妻。

*2代目社長の服部玄三の三男の服部成三郎は三光起業取締役を務めた。

*4代目社長の服部謙太郎の妻の桂子は、日本放送協会(NHK)会長などを務めた実業家の永田清(1-1-1)の長女。二人の間に、長男でセイコーインスツル名誉会長の服部純市、次男で10代目社長を務めた服部真二(後に禮次郎の養子)、三男の秀生は盛岡セイコー工業会長。


【服部家】(クリックで拡大)

服部家 家系図


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