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にいだ ますたろう

仁井田益太郎

にいだ ますたろう

1868.11.18(明治1.10.5)〜 1945.1.15(昭和20)

明治・大正・昭和期の民事訴訟法学者、弁護士

埋葬場所: 23区 1種 1側

 大分県出身。豊後の森山藩士・県吏の仁井田穏重、品(共に同墓)の長男。室桜関塾を経て、1893(M26)東京帝国大学法科大学独法科を首席で卒業。同年、司法官試補・東京地方裁判所詰となる。1896判事となり、京橋区裁判所、1897.1東京区裁判所、6月に免官となり、1897.6〜1900.12民事訴訟法研究のために欧州留学。
 帰国後、京都帝国大学法科大学教授となり民事訴訟法講座を担任した。1901.6法学博士。'08.7東京帝国大学法科大学教授となり、民事訴訟法破産法2講座を担任。'19.7〜'21.6(T8〜T10)東京帝国大学法学部教授。'26.4東京第二弁護士会を創立し会長。'34.7〜'45.1(S9〜S20)勅選貴族院議員。享年78歳。
 妻は貴族院議員の奥山政敬の娘のアイ(同墓)。甥に中国法制史家の仁井田陞(のぼる)。子に東京高裁判事を努めた弁護士の仁井田秀穂(にいだ ひでお 1902-1985.12.19 同墓)。東洋製作所常務を務めた仁井田甲斐(にいだ かい 1905-1986.3.18 同墓)。甲斐の妻の秀子はセイコー創業者の服部金太郎(6-1-1-10)の十一女。

<日本近現代人物履歴事典など>


*墓石は和型「仁井田家之墓」。左側に墓誌があり、俗名・没年月日・行年が刻む。

*父の名前が人名事典などでは「仁井田隠重」と書かれているものが多いが、墓誌には「仁井田穏重」と刻まれているため墓誌を尊重する。


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