メイン » » » 永田 清
ながた きよし

永田 清

ながた きよし

1903.1.27(明治36)〜 1957.11.3(昭和32)

昭和期の経済学者、実業家

埋葬場所: 1区 1種 1側

 福岡県久留米市出身。福岡県立中学明善校を経て、1927(S2)慶応義塾大学経済学部卒業。'31欧米に留学し、フランス財政思想などを学ぶ。
 '33帰国後は、慶應義塾大学で財政学の講師を務めた。専門は国益・社会福祉・時局といった財政思想。'35慶應義塾大学助教授に就任し、'39東京帝国大学講師としても講じた。
 戦後、大学を退職し、'48より実業家へ転じた。日本ゴム株式会社取締役社長をはじめ、'49 福岡製紙株式会社取締役社長を歴任した。'51 サンフランシスコ講和会議全権団顧問団となる。同年、日新製糖株式会社取締役社長を務め、'56 日本放送協会(NHK)会長(7代目)に就任した。翌年、会長職在任のまま急逝。享年54歳。勲2等瑞宝章追贈。翌月ドイツ連邦共和国からも章を授かった。

<墓誌より>
<草場勝昭様より情報提供>


墓所 ながた きよし

*墓所は広大で右手側に洋型「永田清 初枝 墓」が建つ。裏面は夫妻の戒名・没年月日・享年が刻む。戒名は正光院殿清安常照大居士。妻の初枝(S55.3.17歿・享年76歳)の戒名は清操院殿節窓妙枝大姉。入口正面壁に永田清の略歴が刻む墓誌碑が建つ。

*長女の桂子は服部時計店(セイコー)4代目社長の服部謙太郎(共に6-1-1-10)に嫁いだ。謙太郎の弟の服部禮次郎はセイコー5代目社長。謙太郎と桂子の長男の服部純市はセイコーインスツル名誉会長、次男の服部真二はセイコー10代目社長である。


【多磨霊園に眠る日本放送協会(NHK)歴代会長】
 多磨霊園にはNHK会長職を務めた人物が3名眠る。
 ラジオからテレビジョンへ移行に奮闘した第2代会長(在任:1936.9.5-1943.5.15)小森七郎(12-1-2)。永田清は第7代会長(在任:1956.6.13-1957.11.3在任中歿)。第2代経営委員長(在任:1956.6.7-1960.10.15)を務めた後に、第9代会長(1960.10.17-1964.7.9在任中歿)に就任した阿部真之助(20-1-52-14)がいる。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・な行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。