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はっとり げんぞう

服部玄三

はっとり げんぞう

1888.4.9(明治21)〜 1959.2.6(昭和34)

明治・大正・昭和期の実業家(セイコー)

埋葬場所: 6区 1種 1側 10番

 東京出身。セイコー創業者の服部金太郎・まん夫妻の長男(共に同墓)。弟で世界のセイコーを創ることとなる服部正次との年齢差は12歳。
 1909(M42)東京高商卒業し、同年、父が営む服部時計店に入店。'17(T6)服部時計店の株式会社への改組にともない、29歳にして取締役に就任した。'34(S9)父の服部金太郎の死去に伴い、服部時計店の第2代目社長に就任。
 精工舎の軍需工場化への備えとして、'37ウオッチ部門が分離独立し、懐中時計や腕時計を製造する別会社の第二精工舎を発足。 第二精工舎は長野県諏訪市からの企業誘致要請に応えて、'42下請会社大和工業を設立した。 翌年、第二精工舎も疎開工場のひとつとして第二精工舎諏訪工場を設立した。戦後、'46公職追放となり引退した。 引退後は弟の服部正次が3代目として社長を引き継いだ。享年70歳。

<物故者辞典など>


*第二精工舎は後にセイコー電子工業と名前を変更し、現在はセイコーインスツル。諏訪精工舎はのちにEPSONと統合し、現在はセイコーエプソンという名前である。

*服部家の墓所は入って右に折れると正面に「服部金太郎墓」が建つ。母は服部まん。 金太郎の墓を正面にして左手側に「服部家之墓」、隣りに墓誌がある。墓誌には祖父の服部喜三郎、祖母の服部春子(墓誌には「はる」)、早死した服部英介、自身である服部玄三、玄三の妻の服部英子、玄三の長男で4代目社長の服部謙太郎、謙太郎の妻の服部桂子が刻む。 服部玄三の戒名は●観院玄堂日詮居士(●=言+令)。なお、3代目社長で世界のセイコーに躍進させた金太郎の次男で弟の服部正次は鎌倉霊園に眠る。 よって、正次の長男でセイコーエプソム社長を務めた服部一郎も鎌倉霊園である。

*服部玄三と英子の長男は4代目社長の服部謙太郎であり、謙太郎と桂子の長男で孫の服部純市はセイコーインスツル名誉会長、次男で孫の服部真二はセイコー10代目社長(現職)である。 服部玄三と英子の次男は5代目社長の服部禮次郎でありご健在。現在は名誉会長(2010年現在)。


【服部家】(クリックで拡大)

服部家 家系図


【セイコー歴代社長】
創業者服部金太郎社長在任期間:1881〜1934
2代目服部玄三社長在任期間:1934〜1946
3代目服部正次社長在任期間:1946〜1974
4代目服部謙太郎社長在任期間:1974
5代目服部禮次郎社長在任期間:1974〜1987 *その後、9代目までは会長として権限を持ち続け、10代目から名誉会長。
6代目吉村司郎
7代目関本昌弘
8代目井上仲七
9代目村野晃一
10代目服部真二社長在任期間:2010〜


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