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おの えいじろう

小野英二郎

おの えいじろう

1864(元治1.6.23)〜 1927.11.26(昭和2)

明治・大正期の銀行家

埋葬場所: 6区 1種 5側 11番

 柳川藩士の家に生れる。1879(M12)柳川中学校に入学、翌年、同志社英学校2年級に転学。 5年生の時中退し、渡米する内村鑑三(8-1-16-29)、辻(家永)豊吉とたまたま同船してアメリカに向う。 87オベリン大学からミシガン大学大学院に進み、90Ph.Dを取得して、帰国。 一時、郷里柳川の橘蔭学館教員となるが、同年11月、同志社政法学校教授として招かれ、同校創立事務を担当。 91開校とともに教授兼教頭(93年6月〜95年9月までは教頭職を離任)となる。 しかし経済不況、反キリスト教的風潮などの影響を受けて生徒が集らず、96年6月、経営不振を理由に同校を辞職して日本銀行に入行、営業局長を経て、更に日本興業銀行に入り、副総裁(1913〜)、第4代総裁(23〜27)となる。 傍ら、日仏銀行副総裁、共立鉱業会社長、昭和銀行創立委員長などを兼ね、財界に重きをなす。 関東大震災後の中小企業に対する救済、船舶融資などの衝に当った。欧米経済通として知られた。 在任中に永眠。

<日本キリスト教歴史大事典など>
<MATSU様より情報提供>


碑

*墓所には銀行のレリーフがはめ込まれている大きな碑が建つ。

おの えいじろう 墓所

*小野家の墓所は正面に小野英二郎の墓が建つ。裏面は「元治元年六月廿三日生 昭和二年十一月廿六日永眠 春秋六十有四」と刻む。左下に十字が刻む根石墓誌「みどりの のにふさせ いこいのみぎわに ともないたもう」と刻む。裏側は墓誌となり、小野松子、静子、美子、山田貞子、浮田直樹、小野十二子、信也、菊泉、狩野てる、小野妙子が刻む。

墓所左側 墓所右側

*小野家の墓所左手側は右から「小野俊一 浪子 之墓」墓石、その左に「故 小墅總裁記念」碑が建つ。右手側は左から和型「小野康平家墓」、裏面は「ダミアノ 小野康平 1904.2.26-1989.1.24 / マリアローザ 小野伊佐子 1909.4.11-1973.5.3」と刻む。その右側は和型に十字が刻み「愛児 ドミトリイ 小野俊太郎墓」、右面は句が刻み、裏面は「大正八年二月二十四日誕生 昭和八年十月二十五日永眠」と刻む。

墓所

*小野家の墓所右手側手前に新しく三基建つ。これは小野有五が発起人となり、2016.5.15(H28)ワルワーラ・ブブノワと小野アンナの記念碑除幕式が行われた。記念碑建之と共に、多磨霊園の外国人墓地にあったワルワーラ・ブブノワと小野アンナの母親の「アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワの墓」と、ワルワーラ・ブブノワの夫の「ウラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・ゴローフシチコフの墓」がこの地に改葬された。

墓所 アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワ

 三基は左から十字を刻みロシア語でウラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・ゴローフシチコフ(1897-1947)、裏面はカタカナで「ウラヂミル ゴロフチコフ」と刻む。その右隣は十字を刻みロシア語「Анна ниKоДАевна Бубнова」(アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワ)と生没年月日が刻み、裏面にカタカナで「ブブノワ・アンナ 1854-1940」と刻む。その右隣に「小野アンナとワルワーラ・ブブノワ 記念碑」が建つ。両者の簡単な略歴も刻む。碑の下に「小野アンナ記念会・ブブノワ先生に感謝する者一同 有志・小野家 2016年」と刻む。なお、小野アンナとワルワーラ・ブブノワの墓はスフミ市のミハイロフスコエ墓地に葬られた。

*墓誌に刻まれている小野菊泉は田安徳川家老女で柳川藩士小野家の養女。本墓は谷中霊園だがここにも名が刻む。小野英二郎は筑後の柳川の藩士の小野作十郎の子で家督を継いだ背景がある。


【小野家】
 長男の小野俊一は、動物学者、社会運動家、ロシア文学翻訳家。同墓に墓が建つ。 最初の妻は小野アンナであり、ヴァイオリニスト、音楽教室主宰者として多くの弟子を輩出し活躍。 子の俊太郎をヴァイオリニストを目指し育てるも14歳にて病死。お墓は同墓にある。 アンナと協議離婚をし、浪子と再婚するも、アンナとアンナの姉で美術家、ロシア文学者のワルワーラ・ブブノアとは一緒に暮らした。 浪子との子に、小野有五がおり、地理学者、地球環境科学者として活躍している。
 次男の小野勇二は、母方の岡山県人税所家の養子となり、篤二と改名。税所篤二として日仏美術交流に尽力した美術評論家。
 三男の小野英輔は、ピアニストから銀行家へ転進し、横浜正金銀行 (現東京銀行) のサンフランシスコ支店副頭取を務めた。 兄の俊一の最初の妻である小野アンナと仲がよく、またアンナの姉のワルワーラからロシア文学、歴史、語学などで多大な影響を受けた。 安田善三郎(3-1-24-5)の娘、磯子と結婚し、1933年に東京に生まれたのが、小野洋子。 ビートルズで活躍した音楽家ジョン・レノンの妻であるオノヨーコである。また世界銀行シニアアドバイザーなどを歴任した小野節子を生む。
 四男の小野康平は足利日赤病院院長となった医師である。同所に墓が建つ。
 長女の米子は太陽火災保険常任監査役等になった石井茂樹と結婚し、画家となる石井茂雄を生む。
 五男は小野英作。
 次女の寿満子は初代国連大使の加藤俊一と結婚し、その子である加藤英明は外交評論家として活躍した。


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