旧名は伊臣貞太郎。東京帝国大学卒業。
善三郎は秀才の誉れが高く、安田財閥の創始者である安田善次郎(初代)の長女の暉子(てる)(1875.7.26〜1933.7.11 同墓)と結婚し、1895(M28)安田家の婿養子となった。
安田財閥の一員となり、1909(M42)善次郎が一線を退くと、善三郎が経営を主導し、安田銀行(富士・みずほ銀行)の総裁をはじめ、その他、関連する30余の銀行・会社を掌握し、金融界の重鎮となる。
高学歴の採用など、新しい方針を打ち出した。1914.3〜1925.9(T3〜T14)貴族院議員となり、在職期間11年7ヶ月務めた。
その間、'19経営に対する善次郎との確執により、安田財閥から離れた。享年61歳。戒名は正徳院釈善貞楪山大居士。
【善三郎・てるの子】
長男の岩雄は1899早世。長女は不明。
次男の安田岩次郎(1901〜1972 同墓)は画家であり、電信の父と称された寺島宗則伯爵の孫の恭子(1906〜1947 同墓)と結婚した。
次女の玉江は1904早世。三男であるが、表向き三男とされていない片岡千代之助(1903.12.15〜1994.3.26)は生後すぐに歌舞伎役者の11代目片岡仁左衛門の養子(3男)となり、13代目片岡仁左衛門として活躍し、人間国宝に認定された。
三女の宣子は1904早世。三男の安田周三郎(1906〜1981)は彫刻家で、白ネズミの研究で著名である動物学者の畑井新喜司の娘の正子と結婚した。
周三郎の子は建築設計士の安田紫気郎、東京水産大教授で魚類学の権威の安田富士郎である。
四女?の磯子は、銀行家の小野英二郎(6-1-5-11)の息子で、横浜正金銀行 (東京・三菱東京UFJ銀行) のサンフランシスコ支店副頭取を務めた小野英輔に嫁いだ。
なお、小野英輔・磯子の子には、ビートルズで活躍したジョン・レノンの妻となった小野洋子(オノ・ヨーコ)や、世界銀行シニアアドバイザーとして活躍した小野節子がいる。四男の安田福四郎(1909 〜1928)は若くして亡くなった。
<平成新修旧華族家系大成> <歌舞伎 家と血と藝(中川右介)> <墓誌からの推測>
*墓所は広大であり、正面に安田家之墓、右側に墓誌があり、建立から70数年経つが外柵から墓石に至るまで痛みが見えぬ立派な作りである。
*安田善次郎の墓は護国寺(文京区大塚)。
第207回 オノヨーコの祖父 安田財閥 安田善三郎 お墓ツアー
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