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varvara bubnova

ワルワーラ・ブブノア

Varvara Bubnova

1886.5.17(明治19)〜 1983.3.28(昭和58)

昭和期の美術家、画家、ロシア文学者

埋葬場所: 6区 1種 5側 11番

 サンクトペテルブルク出身。小野アンナの姉。語学と文芸を愛好する貴族階層出身の母親の影響で少女時代からピアノと美術を学ぶ。 1907(M40)ロシア・ロマノフ王朝直属のペテルブルグ帝室美術アカデミーに入学し高度な教育を受けた。 '14卒業後は美術教師となり、またモスクワの博物館において研究員を務めた。ロシア革命前後から、「ロバのしっぽ」同人としてロシア・アヴァンギャルド美術部門の振興に加わった。 ソ連建国後は、美術研究所の講師や学芸員を務めながら、地道に制作活動を続けていた。 この時期は、芸術上の導き手でもあった恋人マートヴェイが急逝し、直後に父も他界した。 '21アンナにより二科展に出展された油絵が入選作品となったのを機に、'22(T11)母親を連れて来日。以後36年間日本で過ごす。
 '24〜'37早稲田大学文学部、'27〜'45東京外国語学校でロシア語講師に就き、ロシア文学を日本に伝える上で大きな貢献をした。 '27(S2)在日の白系ロシア人のゴローフシチコフと結婚し20年余を仲睦まじく暮らすものの子供に恵まれず、また戦時中は軽井沢に強制移住をさせられ、'47夫に先立たれる。 '46早稲田大学にロシア文学科が再開('37で一時閉鎖)されると教壇へ復帰した。 '55北海道大学の夏期講座を主宰、'56日ソ学院のロシア語・ロシア文学講師を歴任。「思想」や「中央公論」誌上でロシア構成主義理論を紹介するなど活動し、日本のロシア語ロシア文学の「母」と親しまれ、教え子には作家の五木寛之など多数いる。 もともと油彩画家だったが、来日して日本の新興画壇と交流を深めるうち、版画やリトグラフに表現の可能性を見出すようになった。 戦後には、棟方志功主宰の日本版画院にも参加。またアンナの元夫である小野俊一の居に住まわせてもらっていたこともあり、俊一の翻訳本の挿絵画家、装丁家として何度か活動をともにした。
 '58小野俊一が没したことを機に、同年催された日本橋の白木屋においての「画業50年記念展」を最後に、日本での職を退き、アンナをともなってソ連に帰国した。 帰国後は、ジョージア(グルジア)のスフミに居を構え、'59ソ連美術家同盟会員として制作活動を始め、各地で個展を開いた。'66グルジア功労芸術家称号を得る。 '79アンナがスフミにて他界すると、レニングラードに移転し、余生を送った。 '81生誕90周年記念展覧会がレニングラードで催され、'82日本政府より勲四等宝冠賞を賜った。享年96歳。

<20世紀日本人名事典>
<美術人名辞典など>
<日本女性人名辞典>
<音楽家人名事典など>


おの えいじろう 墓所

*小野家の墓所は正面に小野英二郎の墓が建つ。裏面は「元治元年六月廿三日生 昭和二年十一月廿六日永眠 春秋六十有四」と刻む。左下に十字が刻む根石墓誌「みどりの のにふさせ いこいのみぎわに ともないたもう」と刻む。裏側は墓誌となり、小野松子、静子、美子、山田貞子、浮田直樹、小野十二子、信也、菊泉、狩野てる、小野妙子が刻む。

墓所左側 墓所右側

*小野家の墓所左手側は右から「小野俊一 浪子 之墓」墓石、その左に「故 小墅總裁記念」碑が建つ。右手側は左から和型「小野康平家墓」、裏面は「ダミアノ 小野康平 1904.2.26-1989.1.24 / マリアローザ 小野伊佐子 1909.4.11-1973.5.3」と刻む。その右側は和型に十字が刻み「愛児 ドミトリイ 小野俊太郎墓」、右面は句が刻み、裏面は「大正八年二月二十四日誕生 昭和八年十月二十五日永眠」と刻む。

墓所

*小野家の墓所右手側手前に新しく三基建つ。これは小野有五が発起人となり、2016.5.15(H28)ワルワーラ・ブブノワと小野アンナの記念碑除幕式が行われた。記念碑建之と共に、多磨霊園の外国人墓地にあったワルワーラ・ブブノワと小野アンナの母親の「アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワの墓」と、ワルワーラ・ブブノワの夫の「ウラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・ゴローフシチコフの墓」がこの地に改葬された。

墓所 アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワ

 三基は左から十字を刻みロシア語でウラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・ゴローフシチコフ(1897-1947)、裏面はカタカナで「ウラヂミル ゴロフチコフ」と刻む。その右隣は十字を刻みロシア語「Анна ниKоДАевна Бубнова」(アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワ)と生没年月日が刻み、裏面にカタカナで「ブブノワ・アンナ 1854-1940」と刻む。その右隣に「小野アンナとワルワーラ・ブブノワ 記念碑」が建つ。両者の簡単な略歴も刻む。碑の下に「小野アンナ記念会・ブブノワ先生に感謝する者一同 有志・小野家 2016年」と刻む。なお、小野アンナとワルワーラ・ブブノワの墓はスフミ市のミハイロフスコエ墓地に葬られた。

*墓誌に刻まれている小野菊泉は田安徳川家老女で柳川藩士小野家の養女。本墓は谷中霊園だがここにも名が刻む。小野英二郎は筑後の柳川の藩士の小野作十郎の子で家督を継いだ背景がある。


※墓所内に記念碑が建之されたこと、前夫(小野俊一)、息子(小野俊太郎)、母(アンナ・ニコラーエヴナ)の墓石があり眠っていることから、本人の墓石や刻みはないが、歴史を学ぶ一環として独立ページを設けます。


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