メイン » » » 小野康平
おの こうへい

小野康平

おの こうへい

1904.2.26(明治37)〜 1989.1.24(平成1)

昭和期の内科医学者、医師

埋葬場所: 6区 1種 5側

 東京出身。銀行家の小野英二郎(同墓)の四男。兄に動物学者の小野俊一(同墓)。ジョン・レノンと結婚したオノヨーコは姪(三兄の英輔の娘)。
 1930(S5)慶応義塾大学医学部卒業。内科医として活躍。足利赤十字病院創設院長(のちに名誉院長)。 自ずからピアノやセロを華麗に弾き患者を癒したりもした。'74日本病院協会常務理事。 '86『医の奉仕』を足利日赤病院院長叙勲記念の際に自費出版している。急性肺炎のため逝去。享年84歳。

<物故者事典など>


おの えいじろう 墓所

*小野家の墓所は正面に小野英二郎の墓が建つ。裏面は「元治元年六月廿三日生 昭和二年十一月廿六日永眠 春秋六十有四」と刻む。左下に十字が刻む根石墓誌「みどりの のにふさせ いこいのみぎわに ともないたもう」と刻む。裏側は墓誌となり、小野松子、静子、美子、山田貞子、浮田直樹、小野十二子、信也、菊泉、狩野てる、小野妙子が刻む。

墓所左側 墓所右側

*小野家の墓所左手側は右から「小野俊一 浪子 之墓」墓石、その左に「故 小墅總裁記念」碑が建つ。右手側は左から和型「小野康平家墓」、裏面は「ダミアノ 小野康平 1904.2.26-1989.1.24 / マリアローザ 小野伊佐子 1909.4.11-1973.5.3」と刻む。その右側は和型に十字が刻み「愛児 ドミトリイ 小野俊太郎墓」、右面は句が刻み、裏面は「大正八年二月二十四日誕生 昭和八年十月二十五日永眠」と刻む。

墓所

*小野家の墓所右手側手前に新しく三基建つ。これは小野有五が発起人となり、2016.5.15(H28)ワルワーラ・ブブノワと小野アンナの記念碑除幕式が行われた。記念碑建之と共に、多磨霊園の外国人墓地にあったワルワーラ・ブブノワと小野アンナの母親の「アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワの墓」と、ワルワーラ・ブブノワの夫の「ウラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・ゴローフシチコフの墓」がこの地に改葬された。

墓所 アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワ

 三基は左から十字を刻みロシア語でウラジーミル・アレクサーンドロヴィチ・ゴローフシチコフ(1897-1947)、裏面はカタカナで「ウラヂミル ゴロフチコフ」と刻む。その右隣は十字を刻みロシア語「Анна ниKоДАевна Бубнова」(アンナ・ニコラーエヴナ・ブブノワ)と生没年月日が刻み、裏面にカタカナで「ブブノワ・アンナ 1854-1940」と刻む。その右隣に「小野アンナとワルワーラ・ブブノワ 記念碑」が建つ。両者の簡単な略歴も刻む。碑の下に「小野アンナ記念会・ブブノワ先生に感謝する者一同 有志・小野家 2016年」と刻む。なお、小野アンナとワルワーラ・ブブノワの墓はスフミ市のミハイロフスコエ墓地に葬られた。

*墓誌に刻まれている小野菊泉は田安徳川家老女で柳川藩士小野家の養女。本墓は谷中霊園だがここにも名が刻む。小野英二郎は筑後の柳川の藩士の小野作十郎の子で家督を継いだ背景がある。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。