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おの きくせん

小野菊泉

おの きくせん

1818(文政1.4.12)〜 1885.1.23(明治18)

江戸末期の田安徳川家老女

埋葬場所: 6区 1種 5側 11番

 幕臣の揖斐(いび)左兵衛政廣の長女として江戸六番坊にて生まれる。幼名は与志、または代喜と呼ばれた。1830天保年間に田安家の老女となり、藤澤と称す。
 純姫(田安徳川家第3代当主徳川斉匡の16女)が筑州柳川藩主の立花鑑寛(たちばな あきもと 12代)に嫁ぐにあたり、柳川藩士の小野家の養女となる。1871(M4)東京に戻り、髪を下ろして菊泉と号した。本郷西片街鈴木家にて病没する。享年68歳。

<谷中霊園の正墓に刻む略歴より>


墓所

*小野家の墓所正面に小野英二郎(同墓)の墓が建ち、左下に十字が刻む根石墓誌「みどりの のにふさせ いこいのみぎわに ともないたもう」と刻む。裏側は墓誌となり、小野菊泉の名を見ることができる。小野英二郎は筑後の柳川の藩士の小野作十郎の子で家督を継いだ背景がある。

*墓は谷中霊園(乙10号9側)に「小野菊泉墓」としてある。正面下部に略歴が刻む。


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