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いけだ ひろし

池田 宏

いけだ ひろし

1881.7(明治14)〜 1939.1.7(昭和14)

明治・大正・昭和期の
内務官僚(都市計画)、県知事

埋葬場所: 2区 1種 2側 5番

 静岡県出身。官僚の池田忠一(同墓)の長男。弟は最高裁判所判事の池田克(1893-1977)。
 1905(M38)京都帝国大学法科法律学科を卒業、文官高等試験に合格する。内務省に出仕し、地方庁の事務官として勤務。その後、奈良・神奈川・三重など各県の事務官を経て、'11本省にかえって土木局道路課長となる。'13〜'14(T2〜3)ヨーロッパに遊学し、ロンドンの国際道路会議に出席。帰国後は港湾課長、道路課長。
 '17「都市研究会」が後藤新平を会長として発足し運営にあたり、'18内務監察官と兼務する形で、新設された都市計画課長に就任。構成メンバーのリーダー格として道路都市計画等法制の調査立案を行い、'19我が国初の都市計画法(法律第36号)を起草した。なお、メンバーの笠原敏郎(20-1-52)、佐野利器、内田祥三らは市街地建築物法の起草を行った。
 '20(T9)社会局初代局長に就任するも、後藤新平が東京市長に就任した際に、永田秀次郎、前田多聞(16-1-3-7)、と共に招かれ東京市助役に転出。池田・永田・前田の名前に「田」がつく3人の補佐役を「畳屋(たたみや)」と呼ばれる。これは、畳の旧字体「疊」は田が3つ重なっていることからである。また、この3人に後藤と電気局長の長尾半平(6-1-5-8)を入れ、世に「三田二平」の新市政と呼ばれる。助役時代は、後藤の東京市政要綱(8億円計画)を立案した。'22財団法人東京市政調査会設立にあたり理事。'23関東大震災後は、後藤率いる帝都復興院計画局長として復興計画・事業に尽力。他に箱根の造林、農業基盤整備なども手がけた。
 '24.12.15〜'26.9.28(T13〜T15)第15代京都府知事(在任:約1年9ヶ月)に就任。次いで、'26.9.28〜'29.7.5(T15〜S4)第27代神奈川県知事(在任:約2年10ヶ月)に就任。当時大正天皇は体調がすこぶる悪く、葉山のご用邸で療養することとなり、神奈川県での池田の最初の仕事は名誉ある陛下の看護であった。しかし毎日現地の警護所で寝泊まりしその任に務めるも、就任の年12月25日崩御された。'28(S3)関東大震災で焼失した神奈川県庁舎を公募により再建した。'29(S4)退官。
 その後、専修大学・大阪商大・京都大学で教鞭をとる一方、国粋主義者として多方面に論陣を張った。また、都市調査会の機関紙『都市公論』、東京市政調査会の機関紙『都市問題』などを通し、都市問題や都市計画全般の研究、評論を行った。東京市改正委員会幹事、京都・大阪・横浜・神戸・名古屋の市区改正委員会委員、都市計画中央委員会および地方委員会委員を務めた。従3位 勲2等。享年57歳。

<日本歴代知事総覧など>


墓所

*墓所入口に「池田宏墓所」と刻む標柱が建つ。墓石正面は「池田氏墓」。右側に墓誌が建ち、池田家初代から11代目の一族が刻む。宏は九代目としてあり、享年59歳と刻む。戒名は大池院宏誉白水無辺居士。墓所左側にも二つ墓誌碑が建つ。奥は池田家に関して、手前が池田忠一の碑。

*池田忠一の戒名は先後院十一在一不居士。妻は 須亦(すま:文久1.12-S10.5.2:旧姓は堀田)。

*池田宏の前妻の信(M21.2-T13.2.7没)は京都府知事・皇后宮の大夫・男爵の大森鍾一の二女であり、墓誌には「宏先室」と刻む。なお、池田家の右隣の墓所の中川家に眠る県知事などを務めた中川望の妻は大森鍾一の長女の貞であるため、双方の妻は姉妹同士である。池田宏の後妻は民子(M25.10-S62.3.30)。民子は北海道出身で但馬八木蔵の二女。宏は前妻の信との間に4男2女を儲けており、後妻の民子との間に1男1女を儲けている。墓誌より同墓には長男の池田善長、後妻との子(5男)池田充之(S52.12.13没)、(3女)門藤中子(T15.7-S60.3.4)も眠る。

*池田宏の長男が農業経済学者の池田善長(10代当主)。戒名は善教院浄譽長覺居士。池田善長の長男で農学者・地理学者の池田均(11代当主)。戒名は碩学院叡譽均照居士。

*墓所の並び(正面入口近くの2区2側と6側の角)に池田宏君碑が建つ。


【神奈川県庁本庁舎】
 1923(T12)関東大震災で前県庁舎が焼失したため、'28(S3)神奈川県知事であった池田宏の呼びかけで竣工された。 設計は公募をし、小尾嘉郎(2-2-6)の設計案が当選された。
 耐震構造学の権威でもあり、また都市研究会で同じメンバーでもあった佐野利器を顧問に迎え、神奈川県内務部により実施された。 施工は大林組。構造は鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(地下1階、塔屋付)。昭和初期に流行した帝冠様式の先駆けとなった。 外壁はスクラッチタイル貼り。
 中央の高塔が特徴であり、「キングの塔」の愛称でも呼ばれている。なお、同じ関内にある横浜税関本関庁舎(クイーンの塔)、 横浜市開港記念会館(ジャックの塔)と、3塔は神奈川県のシンボルとして現在に至る。 '96.12.20(H8)国・登録有形文化財。住所:神奈川県横浜市中区日本大通1。

神奈川県庁本庁舎

*設計をした小尾嘉郎の墓はキング塔そのものである。

*クイーン塔に関しては金子隆三のページを参照。



第373回 8億円計画立案 多磨墓地誕生 都市計画の雄 池田宏 お墓ツアー


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