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ながお はんぺい

長尾半平

ながお はんぺい

1865(慶応1.7)〜 1936.6.20(昭和11)

明治・大正・昭和期の内務、鉄道官僚、政治家

埋葬場所: 6区 1種 5側 8番

 越後国村上堀片(新潟県村上市堀片)出身。祖伯父は漢詩人の長尾秋水。父は村上藩士、長男として生まれる。号を秋邨。1885(M18)麹町(高輪)教会で大儀見元一郎から受洗したクリスチャン。
 築地英語学校を経て、1887大学予備門から工部大学校に進学し、1891後身の東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。内務省に入省し、土木監督所を経て、山形県・埼玉県の各土木課長、1898台湾総督府民政部土木課長に就任した。 台湾市区改正計画、港湾築港、鉄道敷設、土木事業、都市計画・国土計画策定に従事した。他に婦人慈善会商議員長を務め、長尾奨学金を創設した。
 1900(M33)4月からロンドンに港湾調査のため滞在していた時に、下宿(ハムステッド)で夏目漱石と同じ屋根の下で暮らした。漱石はエッセイ『過去の匂い』で、当時の長尾について執筆している。
 帰朝後、基隆港湾局技師。土木局長心得。'01後藤新平の招きで鉄道省の鉄道院技師に転任。'11鉄道院業務調査会会議副委員長。鉄道博物館掛長となり、交通博物館設立に尽力。 '13(T2)鉄道院管理部長、'16九州・中部各鉄道管理局長、鉄道省理事を経て、'19西シベリア鉄道国際管理委員会副委員長に就任。 '20(T9)東京市長に後藤新平が就任した時に、東京市電気局長となり、助役の池田宏(2-1-2-5)、永田秀次郎、前田多聞(16-1-3-7)を入れ、世に「三田二平」の新市政と呼ばれる。'28基督教各派合同促進会実行委員長となり、教会合同運動を推進した。
 '30(S5)衆議院議員に当選し立憲民政党に所属。日本国民禁酒同盟理事長として禁酒運動に取り組む。また、麻薬中毒者救護会理事など社会活動に尽力。'34今教文館取締役社長、和光学園園長、明治学院理事、東京女子大学副学長なども務めた。朝鮮総督府の転任先で逝去。享年70歳。

<講談社日本人名大辞典>
<日本「キリスト教」総覧 など>


*墓所入口の左右に石のベンチがある。墓石はモダンな洋型で、「長尾家之墓」と刻む上に十字架が刻む。右面に長尾半平の生没年月日が刻む。裏面は流れるような字体で、聖書の言葉もしくは略歴がうっすらと刻む。


*夏目漱石のエッセイ『過去の匂い』に、長尾半平のことが下記のように書かれている。

「K君の部屋は美しい絨毯が敷いてあって、白絹の窓掛けが下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアーが備え付けてある上に、小さな寝室が別に付属している。何より嬉しいのは断えず暖炉に火を焚いて、惜しげもなく光った石炭を崩していることである。是から自分はK君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の料理店へ一緒に出かけた。K君は何でも築港の調査に着ているとか言って、大分金を持っていた。家にいると、海老茶の繻子(しゅす)に花鳥の刺繍のあるドレッシング・ガウンを着て、甚だ愉快そうであった。之に反して自分は日本を出たままの着物が大分汚れて、見共ない始末であった。K君は余りだと言って新調の費用を貸して呉れた。」


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