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いけだ ちゅういち

池田忠一

いけだ ちゅういち

1850(嘉永3)〜 1934(昭和9)

明治期の官僚

埋葬場所: 2区 1種 2側 5番

 江戸下谷(東京都台東区)出身。1871(M4)静岡に移住。1877県庁に出仕し、1883佐野・城東郡長となり、掛川中学校の建設、東遠衛生会組織に努める。 1885豊田、山名、磐田郡長となり、見付小学校新築に関口隆吉県知事が来席し、県下第一と評した。 寺谷用水工事、ついで社山疏水工事に取り組み、郡役所にほとんど出勤することなく、連日村々を巡視し、人々から「社山郡長」と呼ばれた。また各村々の悪水紛争等の調停を行った。 1902郡長を退くと、推されて中遠農会長、磐田郡農会長となり、耕地整理事業を行う。その後三保学院長。著書に『朝露の覚』がある。長男は神奈川県知事などを務めた官僚の池田宏(同墓)である。

<静岡県歴史人物事典35頁>
<五輪塔様より情報提供>


*池田家墓所の右隣りは中川家墓所であり、子の池田宏と中川望の双方の妻は男爵の大森鍾一の娘であり、姉妹である。


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