三重県出身。父は内務官僚や京都や神奈川県知事を務めた池田宏、信(共に同墓)。父が三重県事務官を務めている時に生まれる。父方祖父は明治期の官僚の池田忠一(同墓)、母方の祖父は男爵の大森鍾一。右隣りの墓所の中川望(2-1-2-6)の妻は母と姉妹。叔父は最高裁判所裁判官の池田克。池田家11代当主。
横浜一中を経て、1934(S9)北海道帝国大学農学部農業経済学科卒業。農学部の助手を経て、東亜研究所研究員や、北海道庁経済部に勤め、樺太調査を行い、ソ連の農業の動向などを研究や、北方地域の農林畜産業の研究を行った。
戦後、'47 経済安定本部経済調査官になる。同年「本邦農村に於ける労働力移動、特に出稼事象に関する研究」により北海道大学より農学博士。'50 経済調査庁査察部課長から、'52 学制改革により新制大学となった北海学園大学経済学部教授に就任。
'56 学校法人北海学園評議員、'57 北海学園大学開発研究所主任教授、'59 同大学の学生部長。'64 開発政策研究のため渡米。学校法人北海学園評議員、'68 北海学園大学開発研究所所長を歴任し、'68 学校法人北海学園理事となった。'71「地域開発政策に関する研究」で北海道大学より経済学博士。'79 北海学園大学を停年退官し、名誉教授。
著書に『開發政策要論』(1954)、地域開発政策』(1971)、『地域開発の政策原理』(1977)などがある。享年72歳。
*墓所入口に「池田宏墓所」と刻む標柱が建つ。墓石正面は「池田氏墓」。右側に墓誌が建ち、池田家初代から11代目の一族が刻む。善長は十代目と刻む。戒名は善教院浄譽長覺居士。妻は美代子。墓所左側にも二つ墓誌碑が建つ。奥は池田家に関して、手前が池田忠一の碑。
*母の信(M21.2-T13.2.7没)は男爵の大森鍾一の二女。父の宏の後妻は民子(M25.10-S62.3.30)。民子は北海道出身で但馬八木蔵の二女。宏は前妻の信との間に4男2女を儲けており、後妻の民子との間に1男1女を儲けている。墓誌より同墓には長男の池田善長、後妻との子(5男)池田充之(S52.12.13没)、(3女)門藤中子(T15.7-S60.3.4)も眠る。善長の長男は農学者・地理学者の池田均(11代当主)。均の戒名は碩学院叡譽均照居士。