メイン » » » 箕作省吾
みつくり しょうご

箕作省吾

みつくり しょうご

1821(文政4)〜 1846(弘化3.12.13)

江戸後期の地理学者

埋葬場所: 14区 1種 2側 2番

 仙台藩士佐々木秀規の次男、箕作阮甫の養子。名は寛、字は玉海。江戸・京都に遊学、蘭学を志し箕作阮甫に入門、その才を認められ阮甫の3女と結婚。 阮甫の加筆もえた「坤輿図鑑」「坤輿図識補抄」は福沢諭吉の「西洋事情」以前におけるこの種の名著といわれ、鍋島斉正や井伊直弼らが本書を外交の指針とし、また吉田松陰や桂太郎が大志を立てたことは著名。 「新製輿地全図」も当時最も優秀な世界地図。外患を憂え世界の形勢を知らしめようと執筆に努めたが、肺を患って早世した。幕末の専門地理学者山村才助(6-2-12-9)と並び称される。

<コンサイス日本人名事典>


墓所

*墓所には4基並ぶ。右から「箕作麟祥先生之墓」、「箕作省吾之墓」、「箕作家之墓」、「紫川箕作先生之墓」と並ぶ。「箕作麟祥先生之墓」の左面「従二位 男爵 箕作君墓碑銘」とあり略歴などが刻む。「箕作省吾之墓」の左面に略歴が刻む。旧名は佐々木省吾で、水澤藩士より阮甫の門人となり、阮甫の娘の婿養子となったことが刻む。「箕作家之墓」の裏面「箕作家は近江源氏佐々木氏より出。永正年間、定頼が初めて箕作を称す。五世近江国、箕作城主の箕作泰秀が大阪役に敗れ、美作に移り、ここに定住する。六世の後裔が阮甫・・・。箕作家先祖の墓は津山市浄圓寺に在り」と刻む。「紫川箕作先生之墓」は箕作阮甫の墓であり、紫川は号。墓石前面は略歴が刻む。墓所左側に墓誌が建ち、「省吾阮甫嗣子」と箕作省吾(弘化3.12.13歿・26歳)から刻みが始まる。次は阮甫(文久3.6.17歿・65歳)、とよ 阮甫妻と続く。

*箕作家の墓所は1964(S39)3月に東京小石川白山浄土寺より箕作祥一によって移葬された。

家系図

家系図


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。