歴史が眠る多磨霊園 |
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呉 黄石 | |||
くれ おうせき | |||
1810(文化8)〜 1879(明治12) | |||
幕末・明治期の藩医学者 | |||
埋葬場所: 21区 1種 25側 1番 | |||
名は貞胤、通称を黄石または是作といい、毅城と号す。父も藩医学者の山田黄石(同墓に眠る)。 山田泰元と称したが後に呉と改名。名前の由来は代々、呉浦荘山田(今の広島県呉市)に居住していたからだという。 初め鹿島に於て、恵美三圭に従い漢医を学んだが、後江戸に出、伊東玄朴に従事し西洋医方を承けた。 また蘭医を学び刻苦しながら学業大に進み、天保8年藝藩邸の仕いに抜擢され名声を上げた。 爾来江戸医学所(今の医科大学の濫觴)・幕府の歩兵屯所・広島医学所などを歴仕。 晩年専ら意を家庭教育に注ぎ、子弟を薫陶した。息子には統計学者の呉文聡(同墓)や医史学者の呉秀三(5-1-1-9)がいる。 妻は洋学者箕作阮甫(14-1-2-2)の娘せき。黄石また呉山と號し、詩書に巧であり、遺著に『黄石詩稿』『毅城家集』『梅花亭文集』等ある。 <広島県人名事典>
<呉黄石先生小傳>
*呉黄石の先妻はノブ子と言う。法号清容院玉室妙操大姉。 | |||
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