メイン » » » 槇 有恒
まき ありつね

槇 有恒

まき ありつね

1894(明治27)〜 1989(平成元年)

大正・昭和期の登山家

埋葬場所: 13区 1種 6側

 近代アルピニズムの開拓者・紹介者。12歳の時に、父(武、同墓)と富士山に登って山好きとなり、慶応義塾在学中に恩師の鹿子木員信とともに日本山岳会を設立した。 卒業後渡欧して、1921(T10)にはアルプスの難ルートであるアイガー東山綾の初登攀に成功した。 のち25にはカナディアン−ロッキー山脈の処女峰マウント−アルバータの初登頂に成功した。欧州から帰国して岩登りをわが国に紹介し、学生登山界に大きく貢献した。 23立山松尾峠での遭難などの苦難を味わっており、同年刊行した「山行」は大正・昭和初期を代表する山の名著として名高い。 56(S31)には第三次マナスル遠征隊隊長として8,125メートルの初登頂を成功させた。46および51〜55日本山岳会会長。56文化功労者。

<コンサイス日本人名事典>


*同墓所には銀行家の父親の武、兄で教育者の智雄(勲二等)、弟で慶応義塾大学医学部を卒業して医師になった弘(勲三等)も眠る。また同墓ではないが植民地経営の実業家である槇哲(あきら)は叔父にあたる。

*「まき ゆうこう」とも読む。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。