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こまつ じゅうし

小松従志

こまつ じゅうし

1883.1.16(明治16)〜 1943.8.5(昭和18)

明治・大正・昭和期の伯爵、主猟官

埋葬場所: 8区 1種 15側

 東京出身。海軍元帥・侯爵で政治家の西郷従道、正室の清子(共に10-1-1-1)の七男。伯父に西郷隆盛。長兄(長男)に西郷従理(10-1-1-1)、二兄(二男)に陸軍少将の西郷豊彦(14-1-9)、三兄(三男)に家督を継いだ西郷従徳(10-1-1-1)、四兄(四男)は男爵の上村従義、五兄(五男)に海軍機関大佐の西郷従親(23-1-1)、六兄(六男)は古河林業部代表社員の西郷豊二。伯爵の小松重春の養子となる。
 1908(M41)学習院高等科卒業。卒業後、農商務省海外実業練習生に拝命される。'11(M44)馬政局に奉職後、主猟官 兼 主馬寮御用掛となる。重春没後、'25(T14)重春の後を嗣ぎ、伯爵を襲爵。享年60歳。没後は長男の小松晃道(同墓)が爵位継承した。

<大衆人事録 東京篇>
<平成新修旧華族家系大成>
<人事興信録>


墓所

*墓石は和型「小松家之墓」、裏面「昭和三十年八月五日建之 小松晃道」。右側に墓誌がある。戒名は慈眼院殿釋普照従志大居士。妻の千代子は陸軍少将の山口圭蔵の娘。従志の長男は小松晃道(1913-1977.11.9)は東京帝国大学経済学部卒業後旭硝子に入る。従志没後に伯爵を授爵し正5位。戒名は恵光院殿釋興隆晃道大居士。晃道の妻は小松静子(T6-H25.11.5歿・行年96才:常光院殿釋興善妙壽大姉)で父は篠原宗嗣、日本画家の杉山寧は義兄にあたり、三島由紀夫夫人の三島瑤子は姪にあたる。三島由紀夫と瑤子(共に10-1-13-32)のお見合いに奔走した(詳細は三島瑤子の頁へ)晃道と静子の長男の小松道夫(1946-1992.1.30)は常磐通商副社長を務めた。戒名は智光院殿釋栄達道賢大居士。道夫の妻は久美子(1955生)。同墓には久美子の父の勅使河原喜久雄(H22.3.29歿・行年84歳)と、母の房子(R5.10.28歿・行年96歳)も眠る。なお久美子は二人の次女。

*明治維新に尽力した小松家第29代 小松清廉(帯刀)、長男の清直、清直隠居後、伯爵を授爵した次男の重春までは、鹿児島県日置市日吉町吉利5004-3にある園林寺(M2廃仏毀釈で廃寺:現在は園林寺跡:おんりんじあと)の小松家(禰寝家・24代清香の時に小松に改姓)代々の墓に眠る。現地には「小松家墓所見取図」の看板も設置されている。小松重春の養子となり授爵し跡を継いだ小松従志以降は多磨霊園に眠る。


【小松家】
 当家は平重盛の孫の高清の後、重長の時、島津氏に仕え封を薩州吉利に移し、小松氏と改称す。
 薩摩国吉利(2,600石)領主だった薩摩藩士小松家の当主で維新の十傑の1人と称されるのが小松清廉(小松帯刀)。1870.8 清廉が没した後、養子の清緝が相続したが、二年後に長男の小松清直が新たに相続した。1896.6.9 小松清廉(帯刀)の明治維新に功績により伯爵を襲爵するにあたり、清直は隠居し、清直の長男の小松帯刀が授爵した。しかし、1905.3 長男の帯刀が死去。それにより、二男の小松重春が家督と伯爵を継承した。重春は経国銀行頭取として活動。また、1922(T11) 当時の鉄道大臣が重春に品川駅立売営業権を許可している。これは小松清廉(帯刀)が、1867 鉄道敷設建白書を呈上した功績を考慮したためであり、重春は常盤軒を創業し、品川駅で食品などの販売を開始した。重春は未婚であったため、家督を西郷従道の七男の従志を養子に迎えて引き継がせた。


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