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みしま ゆきお

三島由紀夫

みしま ゆきお

1925.1.14(大正14)〜 1970.11.25(昭和45)

戦後の小説家、劇作家

埋葬場所: 10区 1種 13側 32番(平岡家之墓)

 東京市四谷区永住町出身。本名は平岡公威(ひらおか きみたけ)。別筆名に榊山保。 祖父の平岡定太郎(同墓)は樺太庁長官などを務めた官僚。農林省の官僚を務めた父の平岡梓・母の倭文重(しずえ)(共に同墓)の長男。 祖父の定太郎の同郷の土木工学者である古市公威から取られ「公威」と命名された。
 幼少期は両親から引き離され、祖母の夏子(同墓)の影響下に置かれ育てられた。 学習院中等科在学中から詩歌や散文を書き、1938(S13)「輔仁会雑誌」に、最初の短篇小説『酸模〔すかんぽ〕-秋彦の幼き思ひ出』『座禅物語』が掲載された。 '41「輔仁会雑誌」編集長に選ばれ、処女短篇集『花ざかりの森』を手がけた。この頃より、筆名を三島由紀夫とした。この『花ざかりの森』は'44に出版された。
 戦後、川端康成の推薦で『煙草』『岬にての物語』などを発表し文壇の足がかりとなる。 '47東京大学法学部卒業後、大蔵省銀行局国民貯蓄課に勤め、並行して初の長編『盗賊』を発表するなど、役所勤めと小説家の二重生活を行っていたが無理が祟り、渋谷駅のホームから転落し危うく電車に轢かれそうになったのを機に、役所を9か月で退職し作家として独立した。 '49『仮面の告白』を出版し、同性愛を扱った本作品は高い評価を得て作家の地位を確立した。 その後も『愛の渇き』、'50光クラブの山崎晃嗣をモデルとした『青の時代』、'51『禁色』、'54ギリシャの古典「ダフニスとクロエ」から着想した『潮騒』、'56青年僧による金閣寺放火事件を題材にした『金閣寺』、『永すぎた春』、'57『美徳のよろめき』、'59『鏡子の家』などのベストセラーを立て続けに発表。 また、同時期に、戯曲『鹿鳴館』、『近代能楽集』を発表。小説・戯曲・評論を通じて様々な実験を行ない美的探究を続けた。
 文学以外でもボディービルや剣道の練習、文学座をはじめとする劇団でみずから演出、出演をしたり、映画出演、自衛隊への体験入隊などで話題をまいた。 作品も精力的に描き続け、'65『豊饒の海』、戯曲に『サド侯爵夫人』など発表し、この頃にはノーベル文学賞候補として世界的にも名声をあげた。 '68〈楯の会〉を結成、'70森田必勝ら同会の学生と、東京市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乗り込み、自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。 その美学を完成するために絶対者(天皇)が必要だとした主張とともに、死の行為は大きな波紋を及ぼした。享年45歳(墓誌には46歳)。 戒名は彰武院文鏡公威居士。作家の武田泰淳は「・・・息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました」と弔辞を捧げた。

<コンサイス日本人名辞典など>


靈位標

*平岡家の右側に靈位標があり、そこに筆名三島由紀夫の字が刻む。

*同墓所には、なつ(祖母)、定太郎(祖父)、美津子(妹)、公威(由紀夫本人)、梓(父)、倭文重(母)、瑤子(妻)が眠る。 祖父の平岡定太郎は明治・大正期に活躍した官僚であり、原敬の側近。 福島県知事や樺太庁長官を歴任した。父の平岡梓も農商務省の官僚である。

*三島由紀夫夫人の平岡瑤子は翻訳家として活躍した。なお平岡瑤子は日本画家で文化勲章を受章した杉山寧の長女。 平成7に急性心不全のため東京都の自宅にて58歳で没している。墓誌には59歳と刻む。

*『仮面の告白』に描かれる三島由紀夫の初恋の女性は三谷邦子(作中では園子)であり、三谷隆信(19-1-1)の長女である。 邦子はのちのオルガノ社長となる銀行員の永井邦夫と結婚した。なお隆信の三女は鮎川義介(10-1-7-1)に嫁いだため三谷家と親戚関係である。

*三島由紀夫が楯の会の同志を率いて市ヶ谷の自衛隊東部方面総合監部を占拠し、自衛隊員に決起を促すアジ演説のあと割腹自殺を遂げた。 その際、介錯人として森田必勝が三島由紀夫の斬首をしたが、一太刀で切れず、数度も刀を振り下ろし斬首した。なお、三島由紀夫の辞世(二首)は以下である。

益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに
幾とせ耐へて今日の初霜
散るをいとふ世にも人にもさきがけて
散るこそ花と吹く小夜嵐


*三島由紀夫が割腹自殺をした翌年の1971(S46)9月に三島由紀夫の遺骨盗難事件が発生した。 当時、多磨霊園近辺では3億円事件が起きたばかりで、警察当局は遺骨盗難に対して力を注ぐことができなかったが、同年の12月に非番の捜査官が多磨霊園三島由紀夫墓所に行ったところ、数メートルしか離れていない公衆トイレ脇に骨壷が埋まっているのを発見した。 三島由紀夫夫人同席の元、中を確認したところ、骨と一緒に入れた葉巻もそのままの状態で入っていたことから本人のものと確定し、遺族のもとへ二ヶ月ぶりに返ってきた。

*多磨霊園では三島由紀夫の他に長谷川町子(10-1-4-3)が遺骨盗難の被害を受けた。遺骨盗難事件等の詳細は長谷川町子のページご参照ください。


【三島由紀夫遺骨盗難事件】

三島由紀夫の遺骨盗まる』〜多磨霊園 狂信者の犯行か〜 S45・9・25
 昨年11月陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込み、割腹自殺した作家の三島由紀夫(本名、平岡公威)の遺骨が、東京・府中市の多磨霊園にある墓から骨ツボごと盗まれたことがわかり、府中署は25日墳墓発掘、遺骨領特得の疑いで捜査を始めた。 三島夫人の平岡瑶子(34)が墓参にきて、墓をいじった形跡があるのを発見、同霊園管理事務所長らに調査を頼んでいたもので、府中署は25日朝5時半から墓を開いて実況検分した結果、遺骨が消えているのを確認した。 同署は熱狂的な三島崇拝者が遺骨を持ち去ったとの見方を強めているが、盗まれた目的などはわからず、今のところ手がかりはないという。

帰ってきた三島の遺骨』〜墓から39mの土中に〜 S45・12・6
 非番の捜査官「もしや」の努力実る。さる9月、東京・府中市の多磨霊園から何者かに盗まれ、ミステリーとして注目されていた作家三島由紀夫の遺骨は、5日午後、三島由紀夫の墓から約40m離れた盛土の中から、およそ2ヶ月半ぶりに発見された。盗んだ犯人が自発的に返したものと、捜査当局は見ているが、その背後関係ははっきりせず、「三島遺骨事件」は依然謎に包まれている。

<昭和46年9月25日・12月6日の盗難事件を伝える読売新聞から抜粋>


【ノーベル賞候補】
 2014年1月ノーベル財団のホームページに、1963年のノーベル賞選考過程が公開され、ノーベル文学賞の6人の候補の中に三島由紀夫が残っていたことが明らかになった。
 これは財団がノーベル賞の選考過程は50年間明らかにしないことにしており、その期間が過ぎたことから公表するというルールに則られた形での発表である。
 1963年のノーベル文学賞には80人が候補として推薦され、この中には日本人作家も4人ノミネートされた。その後、候補者は6人に絞り込まれ三島由紀夫が残った。 三島由紀夫はこの年、初めてノーベル賞候補にノミネートされたが、最終候補の3人には残らず、結果的にはギリシャの詩人、イオルガス・セフェリスが受賞した。


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