東京帝国大卒業後、農商務省に入った。同期に後の総理大臣になる岸信介がいた。父の平岡定太郎(同墓)と同じ官僚の道に進んだが、父とは異なり細々とした官僚であった。
倭文重と結婚し1925(T14)長男の公威こと三島由紀夫が生まれた。その頃は、父の定太郎が築いた冨と名誉は跡形もなく没落していた。
定太郎の妻の夏子は、そんな時期に生まれた公威を不憫に思い、極度に過保護に育てた。育児をすべき両親は遠ざけられ、祖母夏子がもっぱら教育した。
梓は水産局長を最後に農林省を勇退、以後会社社長などを歴任。息子の三島由紀夫没後『伜・三島由紀夫』(文藝春秋)という回想録を出版している。享年81歳。墓誌には82歳と刻む。