兵庫県加古川出身。農商務官僚の平岡梓(同墓)の父、作家の三島由紀夫(同墓)の祖父。早稲田専門学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。
内務省試補となり、栃木県警察部長、内務書記官、衆議院書記官などを歴任。
1906.7(M39)内務大臣原敬に認められて、抜擢されて第17代福島県知事(在任:1906.7.28〜1908.6.12)に就任した。
福島県においても、地方政治の矛盾は、町村財政の悪化と住民負担の増大、農村の疲弊と動揺に表現されていた。
定太郎が乏しい地方財源の中で有能な官僚知事として誠実に働いていたことがわかるであろう。
'08(M41)〜'14(T3)樺太庁長官に就任した。樺太の地に製紙会社を誘致し、樺太や製紙会社に有益な結果をもたらしたが、定太郎は政争の渦に巻き込まれ、
政友会総裁原敬の判断により長官を辞任。以後オモテ社会から身を引いた。
その後、満州でのアヘン取引を通じて、総理大臣となった原の政治資金を捻出するためにウラ社会で奮闘。
しかし原政権を守るための奮闘が「アヘン商人」として世間から指弾されることになり失脚した。
三島由紀夫の出世作『仮面の告白』には、「・・・祖父の事業欲と祖母の病気と浪費癖が一家の悩みの種だった。
いかがわしい取巻き連のもってくる絵地図に誘われて、祖父は黄金夢を夢見ながら遠い地方をしばし旅した」とある。
また三島由紀夫は新人の頃、祖父のコネを使い王子製紙から本を出版できたという逸話もある。
享年79歳だが、墓誌には80歳と刻む。