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ひぐち てつこ

樋口哲子

ひぐち てつこ

1922(大正11)〜 2016.2.5(平成28)

昭和期の著述家、ボースの娘

埋葬場所: 1区 1種 6側 12番

 東京出身。祖父は相馬愛蔵・黒光(共に8-1-5-3)。父はラス・ビハリ・ボース、母は俊子(共に同墓)の長女。旧姓は防須。相馬安雄(8-1-5-3)は叔父。防須正秀(同墓)は兄。戸籍上は「哲」(墓石には哲と刻む)だが、祖母の相馬黒光の亡くなった娘の名前にちなみ、通称「哲子」となる。
 '23(T12)父のボースが帰化し「防須」家を立てたため姓が防須となる。'25(T14)母の俊子を亡くしたため祖父母に育てらるが、毎週一回は父のボースに会いに行っていた。'45(S20)原宿の自宅で父のボース臨終を看取るまで激動の時代をともにした。同年に兄の防須正秀も亡くなる。
 女子学院卒業。後に樋口浩に嫁ぎ、樋口姓となる。樋口との婚姻に関しては、当時、祖母の黒光はロシア文学に興味を持ちロシア語研究をしており、多額の寄付をしていた早稲田大学のロシア語教授たちに師事していた。その教授の一人がロシア文学の権威である昇曙夢(11-1-7)である。昇曙夢の甥が樋口浩である。なお黒光はロシア語を話せたことで、ロシヤの放浪児ニンツァや盲詩人エロシェンコなどが中村屋に身を寄せるようになった。
 2012(H24)『父ボース—追憶のなかのアジアと日本』(中島岳志・編)を刊行。享年93歳。

<著者略歴>
<「人物昭和史2 実業の覇者〈相馬愛蔵〉」井出孫六 など>


墓所

*墓所はインド式仏塔の八面体の台座の正面に「ボース家」。その左面にボースの娘の哲の嫁ぎ先の「樋口家」も加わり、樋口家が継承されたことがわかる。

*裏面は墓誌となっており、右面からラス・ビハリ・ボースと妻の俊子の戒名と没年月日、行年が刻む。ボースの戒名は顯國院殿俊譽髙峰防須大居士。墓誌には歿六十才と刻む。俊子の戒名は雪峯院貞譽妙俊大姉。墓誌には歿二十八才と刻む。次の面は長男の防須正秀で「故陸軍中尉」という刻みと俗名の後に戒名の穎徳院敏譽俊堂正秀居士、昭和二十年六月十七日於沖縄戦死、行年二十六才と刻む。その隣の面は、樋口浩(H19.11.27歿 行年92才)、樋口哲(ボース)(H28.2.5歿 行年93才)と刻む。


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