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いわこし つねいち

岩越恒一

いわこし つねいち

1878.12.18(明治11)〜 1945.10.30(昭和20)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 13区 1種 26側

 大阪府出身。岩越直右衛門の長男として生れる。大阪中学校を経て、1900.11.21(M33)陸軍士官学校卒業(12期)。同期に杉山元(後に元帥:15-1-3-11)、畑俊六(後に元帥)、小磯国昭(後に大将・首相)、毛内靖胤(後に中将:9-2-2-5)、柳川平助(後に中将:15-1-9)、岩田恒房(後に少将:12-1-13)、岡 千賀松(後に少将:23-1-2)、作田徳次(後に少将:7-2-32-2)らがいた。 '01.6.25工兵少尉に任官し、工兵第3大隊付となる。陸士教官などを経て、'12.11.25(T1)陸軍大学校卒業(24期)。同期に谷寿夫(後に中将:13-1-21)らがいた。
 '13.6陸軍省軍務局付勤務となり、同課員、電信隊付、交通兵団司令部員、陸大教官を経て、'21.12.27シベリア出兵に動員され臨時鉄道連隊長となった。'22.8.15工兵大佐に昇進し、参謀本部通信課長に就任。'24.7欧州出張、翌.1 帰朝し、'25.3.2電信第2連隊長となる。
 '27.7.26(S2)陸軍少将に進級し、佐世保要塞司令官に就任。その後、'28.8.10陸軍通信学校長、'29.8.1陸軍工兵学校長、'31.8.1陸軍砲工学校長を歴任した。'32.4.11陸軍中将に累進し、'33.8.1工兵監となり、'35.3.15第3師団長に親補され満州に駐屯した。 '36.3.23参謀本部付を経て、同.4.2東京警備司令官 兼 東部防衛司令官に就任。'37.8.3待命となり、同.8.23予備となった。功4級。享年66歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


墓所

*墓石は洋型「岩越家之墓」。墓誌があり、戒名は常恒院殿顕譽義眞大居士。享年は68才と刻む。妻は貞子。養子は陸軍中佐、戦後、陸上自衛隊で陸将になった岩越紳六。


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