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おか ちかまつ

岡 千賀松

おか ちかまつ

1878(明治11)〜 1942.11.19(昭和17)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 23区 1種 2側

 岡山県出身。1900.11.21(M33)陸軍士官学校卒業(12期)。同期に杉山元(後に元帥:15-1-3-11)、畑俊六(後に元帥)、小磯国昭(後に大将・首相)、岩越恒一(後に中将:13-1-26)、毛内靖胤(後に中将:9-2-2-5)、柳川平助(後に中将:15-1-9)、岩田恒房(後に少将:12-1-13)、作田徳次(後に少将:7-2-32-2)らがいた。'01.6.25歩兵少尉に任官。'09.12.3陸軍大学校卒業(21期)。
 '22.8.15(T11)陸軍歩兵大佐に昇進し、歩兵第73聯隊長となる。同年、『國家及國民ノ體育指導』(国家及国民ノ体育指導)を刊行。'23.8.6朝鮮軍参謀、'26.3.2第14師団参謀長を経て、'27.7.26(S2)陸軍少将に昇進し、歩兵第32旅団長に就任した。'30.3.6待命、同.3.25予備となる。享年64歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


墓所 墓所

*墓所に三基並ぶ。右墓石から前面「南無阿弥陀佛」、右面「岡家先祖各霊菩提建之」、左面「昭和四十八年吉月吉祥日建之 二代目 岡眞樹次」と刻む。真ん中が岡千賀松の夫婦墓石で、前面「豊城院殿武徳法彰大居士 / 眞城院殿慈徳智祥清大姉」、右面「昭和十七年十一月十九日 父 初代 千賀松 / 昭和四十六年一月十九日 母 れん」、左面「昭和四十八年吉月吉祥日建之 二代目 岡眞樹次」と刻む。左の墓石は岡眞樹次の夫妻墓石で、前面「樹徳院眞道浄範居士 / 慈徳院裕妙潤大姉」、右面「平成十八年一月二十五日 父 眞樹次 / 平成二十六年一月六日 母 ゆう子」、左面「平成十九年吉月吉祥日建之 岡起三子」と刻む。

*長男で二代目の岡眞樹次は陸軍少佐。太平洋戦争末期、第17方面軍戦闘序列に編入、済州島に配備された第58軍第12砲兵司令部噴進砲第1大隊長としてアメリカ軍の侵攻に備えていたが、交戦することなく終戦を迎えた。 。


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