歴史が眠る多磨霊園 |
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毛内靖胤 | |
もうない のぶたね | |
1880.3.1(明治13)〜 1936.1.16(昭和11) | |
明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将) | |
埋葬場所: 9区 2種 2側 5番 | |
青森県弘前市出身。弘前藩士の毛内嘉胤の長男として生まれる。毛内氏の嫡流で、伯父に新撰組隊士の毛内有之助がいる。弟は海軍少将の毛内效。 <青森県人名大事典> *墓石正面は「毛内家之墓」。墓誌には享年57才と刻む。戒名はない。 【屋井乾電池】 1888乾電池はガスナーという人物が考案したとされる。世界的には彼を乾電池の租と言われている。 ところが、屋井乾電池の先代の社長である屋井先蔵(1864-1927)が、ガスナーが考案した年よりも3年も早い、1885(M18)に乾電池を発明。連続電気時計を発明した際に、これに使用するための液体電池は冬季の凍結防止など維持に手間がかかることから乾電池開発に着手したのが動機。しかし、特許取得料金は高額であったため申請が出せないでいた。1892(M25)シカゴの万国博覧会に東京帝国大学から出品した地震計に屋井乾電池が使用され、世界学会に一大衝動を与えたという。これによって、1893.11.21ようやく屋井乾電池が特許取得したという。当時の乾電池には灯火用とラジオ用と通信用の三種で、屋井は通信用を主力としていた。その後、ラジオの流行で乾電池の需要が多くなった頃の社長が毛内靖胤となる。 <1935.2.8(S10)時事新報「海外へ飛躍するわが乾電池 発明の租は日本人」など>
※ヨミを「やすたね」としている人名事典が多いが、軍人関連の事典ではわざわざ振り仮名までふっているので、そちらを優先した。 | |
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