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いいの けんじゅう

飯野賢十

いいの けんじゅう

?〜 1939.3.22(昭和14)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 21区 1種 20側 8番

 東京出身。1911.5.27(M44)陸軍士官学校卒業(23期)。同期に、小畑英良(のち大将)や伊佐一男(後に中将:4-1-23)、岡田資(後に中将)、落合忠吉(後に中将:16-1-7)、桜井省三(後に中将:4-1-35-7)、宝蔵寺久雄(後に中将:9-1-19-11)、西原八三郎(後に少将:22-1-79)、山之内二郎(後に少将:12-1-2)らがいる。同.12.26歩兵少尉に任官。'20.11.22(T9)陸軍大学校卒業(32期)。同期に土橋勇逸(後に中将:21-1-14)らがいた。
 様々な要職を経て、'36.3.7(S11)歩兵大佐に昇進し、陸軍通信学校附となる。'38.9.3日中戦争勃発により、歩兵第113連隊長に任命される。
 翌.2.18守備地大屋田を出発。連日の降雨のため、兵や軍馬は泥まみれになりながら、陽湖に注ぐ修水北岸の対庄に3月初旬ようやくたどり着いた。同.3.19修水の渡河準備が完了、同.3.21南昌攻略の緒戦、修水河渡河は中国中部の全域から集められた二百数十門の重火砲による攻撃が開始された。 南昌攻略の緒戦修水河攻防は、日本軍の毒ガス使用によって大勝利に終わった。その中で、飯野は渡河、安義及び奉新の敵を追撃中に中支で戦死。没後1階級特進し少将に進級した。功三級金鵄勲章。

<帝国陸軍将軍総覧>
<「毒ガス撃ち込んだ修水河攻防」1991.7.16新聞記事など>


 


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