売春する人や援助交際する子どもは人格が破綻しているの? | |
この問題は結構歴史的な重みというか、根が深い問題なので語り始めれば長くなります。が、標語のように一言で言えば、「売っても買っても賭けてもいけないものは命≠ニ魂=vではないでしょうか。 売春の問題は様々な問題を含んでいるので、まず次の四つに分けて考えてみてはどうでしょうか? 1.労働あるいはコミュニケーションとしての性的行為 古代ギリシャでは、肉体労働は「市民」として認められていない奴隷の仕事とされていたようです。しかし現代の民主・大衆社会では、誰もが自らの能力(体力・知力・精神力・技術etc.)に応じて、労力と時間を「切り売り」し、その対価(たいていはお金)を得て生活しています。 それを「生きがい」「自己実現」「趣味の延長」と呼んだとしても、またそれが家事のような「アン・ペイドワーク」であったにせよ、今日と明日の暮らしを支えるためになされている活動は、すべて労働(ワーク)とみなすのが自然でしょう。 その労働形態の一つとして「性的なサービス」を行う労働があるととらえてみてはどうでしょう。テレクラ嬢・AV女優・アルサロのホステス・ストリッパー・ファッションヘルス嬢・ソープ嬢と「売春婦(夫)」との境目は何か。法的には明瞭ですが、性的サービス労働という視点からは、売春行為だけを特別視するのはかえって不自然ではないでしょうか。 古来、洋の東西を問わず、神殿や寺院などで巫女や少年が「神聖な行為」の一つとして性的なサービスを行ってきたという事実があります。現在でも巡礼(参拝)地の周辺には遊興の場が設けられ、長い航海でつかれた水夫を迎え、戦地に赴く兵士を送り出す港や軍事基地の周辺にも、売春を生業とする女性や男性が多く集っています。 こうした場に足を向ける客の多くは性行為を目的としているわけですが、中には売春婦(夫)との情的なかかわり=コミュニケーションを求めて通いつめる客もあるそうです。 これらのことから、売春の基本的性格は、「癒しを基礎に置くサービス労働」であるということができます。「慰安婦」という呼称は、まさにそれを言い当てているのかもしれません。 私達は「性(的)行為」を極めて限定的、あるいはかなりあいまいにとらえています。相手との肉体的な関りを頭の中でいくら想像しても何の罪にもなりません。しかし、相手をじっと(じろじろ)見つめることは、場合によってはセクシュアル・ハラスメントになります。 いくら「濃厚なサービス」をしても条件さえ守れば罪にはならないのに、「淡白な性交」が伴えば罪になる。「一線を守る」「ホンバンはしてもキスは許さない」というのは、風俗嬢やセックス・ワーカーのプライドや人格を守るのには有効かもしれません。しかし、そのことが売春そのものに対する考え方を、一層歪めてしまう可能性があるかもしれません。 また、主婦のことを男性が蔑んで(あるいは女性が自嘲的に)「三食昼寝付きの家政婦兼売春婦」などというのは、家事も売春も労働とみなさないという考え方が基礎にあるのかもしれません。 ※性的サービスを行う業種は、通常「風俗業」の一つとして分類されています。 2. 支配・搾取と自己決定権 では、売春の最大の問題は何か。 慰安を求める客と、それにサービスを与える労働者という構図だけで完結されない問題があります。それは「売春婦」が、どの時代社会においても「自由業者」とはならず、常に支配と搾取の対象とされてきたことでしょう。 売春の問題と人身売買の問題を結びつけて考える時、売春婦が自らの体を売る(客が買う)ことを問題にしがちです。しかし、より深刻かつ重大なのは、旧日本軍によりだまされ、あるいは強制的に連行された「従軍慰安婦」の存在であり、現在もなお貧困にあえぐ家庭の女性(男性)や少女(少年)が、まさに「商品」として売買されているという事実です。 だからこそ、「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」の第1条第2項でも、「本人の同意があった場合においても、その者の売春から搾取すること」を処罰することが求められているのです。 「手っ取り早く金が手に入るから」「他に稼ぐ方法がないから」という理由で売春を行ったとしても、完全な「自営」として売春を行っているのではなく、犯罪的な組織(例えば暴力団)の管理下に置かれてしまう場合もあります。また、極めて個人的な付き合いのある男性(例えばヒモ)の支配下にあって、自分の意思でその「職業」を自由に離れることが困難になっている場合もあります。 売春が「労働」である限り、誰からの不当な支配も受けず、正当な対価を手に入れることができ、その労働を止める選択権が当人になければなりません。そうした「労働条件」と「自己決定権」が保障されるべきであることは、すべての労働と何ら変わりがないものでしょう。 いずれにせよ売春を「労働」として認めない限り、こうした問題もまた改善されることはないのかもしれません。 3. 未成年者の成長と教育の課題 「刑法」で定められている強姦罪や強制わいせつ罪では、相手が13歳未満の場合、「合意」があっても罪が成立します。 「労働基準法」(第56・60〜63条)では、15歳以下の子どもの労働を例外を除いて禁止し、18歳未満の未成年者への労働を制限しています。 「児童福祉法 第34条」や「大阪府青少年健全育成条令 第23条」では、18歳未満の未成年者に対する「風俗店での就業」や「淫行(いんこう)」「わいせつ行為」を禁じています。 「子どもの権利条約 第34条」では「性的搾取からの保護」が定められています 「児童買春・ポルノ禁止法 第2条第2項」(1999年5月に制定)では、買春について、次のように定めています。
一方、18歳未満の未成年者であっても、女性は16歳以上であれば「結婚生活」を送ることが認められています(民法第731条)。 つまり、「労働」として対価を得る性行為は禁止されていても、夫婦関係における性行為は認められる訳です。 「高校生の性行為などもってのほか」「不純異性交友は許し難い非行」「援助交際した生徒は犯罪者」という考え方がベースになって、結婚した女子生徒を、まるで退職勧奨するが如く学校生活から排除するのでしょう。 また、家族や極めて近しい大人による性的虐待が、その後の人生に大きな影を落とすことは、他の児童虐待と同等か、それ以上の深刻さを伴っています。性的行為が対価を得るもの(援助交際など)かどうかを問題とするよりも、子どもたちの体や心をどう守るのかという視点が重要なのではないでしょうか。 そして性に関する行動を「悪」と決め付け、様々な困難や課題を抱えた生徒を排除する前に、搾取や虐待から保護し、かつ自分と他人の尊厳を自ら守っていける「自己決定権」を行使しうる力を子どもにも大人にも育てていくことが急がれます。 4.感染症のリスクと妊娠の可能性 性的な行為が対価を伴うものであろうとなかろうと、成年か未成年かを問わず、性交を伴う性交渉は「妊娠」の可能性を、女性の側のみに引き起こします。 また、不特定多数の相手との性交渉は、HIVに限らず様々な性感染症のリスクを高めることとなります。より正確に言えば特定の相手とのみ性交渉をしていても、その相手が不特定多数の相手と性交渉を持ち、それが知らない間に感染症を介在している場合もあります。 特に、若い女性を中心としたクラミジアの感染は、広範囲に広がりつつあり、自覚症状のないままに病状が悪化し、大きな後遺症を残すことが問題となっています。 売春婦や援交少女を「人格破綻者」と決め付け排除するのはたやすいことです。しかし、「性交渉は未成年者にはあり得ない」「不特定多数の相手との性交渉は許されない」というだけでは、妊娠の可能性に伴う様々な課題や、感染症のリスクを放置し、社会や教育の場から、困難を抱えるヒトを排除し、問題を隠蔽することにしかならないでしょう。 売春を「労働」として捉え、未成年者の性交渉は「ありうること」として受け入れることが、避妊によって中絶を防止し、感染症を予防する力となるのです。 また、売春に関する様々な法律で、「男娼」や同性間の売買春について、明瞭に問題を指摘したものは余り見受けられません。ここでも、性的な行為は、「異性間」においてのみ起こりうるという思い込み(と言うより決め付け)が見受けられます。 「保護」を目的とした法の整備は必要です。しかし、その法の精神を見過ごし、善悪だけを取りたててヒトを分断し排除する「人権侵害」をこそ、私達は問題にすべきなのかもしれません。 |
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