「新しい歴史教科書」が教えるもの | |||||||||||||||||||||
日本国内の学校で使用される教科書をめぐって、1960年代から様々な論争がなされ、「家永裁判」に代表されるように司法の場でも争われてきました。それは、日本史にかかわる「検定」の是非をめぐる問題でした。 今回も「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって編集され、扶桑社から発行された歴史・公民の教科書の検定とその採択にかかわって、アジアを中心に国際問題にもなっています。 2002年度に国内の国公立中学校で使われる教科書の採択が2001年8月15日までに明らかになりました。その結果、扶桑社版の歴史と公民の教科書は、市区町村立の中学校の教科書を採択する542地区の全てで採択されませんでした。 しかし、東京都と愛媛県の教育委員会が直接採択することのできる養護学校の一部と、私立の8校で採択されることとなりました。 石原慎太郎東京都知事は、
一方、愛媛県には保守的な教育行政を続けてきた歴史があります。 問題の教科書を採択した私立学校についても、その「建学の精神」や「学校の沿革」、「教育方針」を見ると、採択の必然性が見られます。 「そういう行政機関やこういう学校がああいう教科書を採択してもおかしくない」と納得してしまうものがあります。 この問題を考えるとき、少なくとも三つのことは押さえておきたいものです。 一つ目は、 これは「教科書」の問題ではなく、私たちの社会全体につながっている問題であるということ。それも、過去と現在と未来についてです。過去の「過ち」を認め、現在ある様々な問題にどう対応すべきなのか。そして、それをこれから成長し将来の社会を支える子どもたちにどう教えるのかという問題です。 二つ目は、 文部科学省が定めていることと照らし合わせても、今回の採択には疑問が出て当然だということ。 義務教育諸学校教科用図書検定基準の「第2章 各教科共通の条件 2 選択・扱い及び組織・分量」には
そして、「第3章 各教科固有の条件 [社会科(「地図」を除く。)]」には、
「つくる会」が作った教科書が「検定」の基準に合っているとしても、結果的にそれと逆行する事態が起きているのみならず、彼らはそれを謙虚に受け止めていないのが事実です。 三つ目は 「なぜ養護学校か」という問題です。もちろん県や都が直接関与できる学校が、たまたま盲・聾・病弱児童の教育機関だったということはあるでしょう。 盲学校,聾学校及び養護学校 小学部・中学部学習指導要領 の「第2節 教育課程の編成 第1 一般方針」には、
また、「第3章 道徳」には、
「第7 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項」には
さらに、「第5章 自立活動 第3 指導計画の作成と内容の取扱い」では、
こうした方針と目標を持って進められるべき養護学校の歴史や公民の教科書に「つくる会」の教科書がふさわしいかどうかという議論をこそすべきでしょう。 それをしないのは、養護学校に通う子どもたちや親達への軽視や蔑視があるから、少なくとも、抱える課題や支える人々を尊重していないことは明らかでしょう。弱いものいじめ=利用といってもよいかもしれません。 その採択の姿勢には、一人一人の「人権」よりも優先すべきものがあるという考えが、「つくる会」の教科書と同様に見られます。 「つくる会」のメンバーは記者会見で次に採択がある「4年後にリベンジする」といっています。 「つくる会」の教科書が教えていることは、「誰が何を支持しているのかということをしっかりと見抜く」こと、「日々の生活の中で一人一人の人権(人間としての存在)が尊重されるよう努める」こと、「おかしいことはおかしいとしっかり声に出していくことが大切なのだ」ということなのかもしれません。 |
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