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N510  人権・平和・福祉   1999-2002年
紹介記事目録
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記事紹介の留意事項






朝日
2002/05/17
夕刊 14面 No .N510a020517e14
ベルギー




シリーズ・特集;
見出し:
ベルギーが安楽死容認
メモ :
安楽死を合法化する法案が2002年5月16日、ベルギー下院で賛成多数で可決、成立した。これにより同国はオランダに次いで世界で2番目に安楽死を認める国となった。

この法律は、患者自身が安楽死を明確に希望し、その意思を繰り返し表明している。▽耐え難い苦痛があり治療によって回復する見込みがない――などの条件を満たす場合、医師が患者に安楽死を施しても殺人などの罪に問わない。オランダでは歳以上が対象だが、ベルギーでは18歳以上とし、安楽死を施したときは政府への報告が義務付けられている。

下院の採決結果は賛成86、反対51、棄権10だった。法律は国王の署名を経て8月までに施行される予定だ。しかしカトリック教徒を中心に安楽死への反対論は根強く、法案に反対のキリスト教民主党は欧州人権裁判所に無効の訴えを出す構えを見せるなど、施行が遅れる可能性もある。

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朝日
2002/03/30
夕刊 11
No .N510a020330e11

京都大学助教授

50
山極寿一
シリーズ・特集; 文化
見出し:
類人猿に「抹殺」はない/「攻撃」は共存のため/不気味な精神世界作る人間/「弱者の仲裁」こそ進化の道筋
メモ :
かつて、戦争は人間の本能の所産と考えられた時代があった。劇作家のロバート・アードレイは1962年に『アフリカ創世記』を著し、道具を製作する能力を身につけた人間が、動物に由来する攻撃本能を用いて、巨大な殺戮機械を発明する歴史を描いた。これは、南アフリカで発見された猿人たちが武器で仲間を殺す習慣をもっていたとする、人類学者レイモンド・ダートの発見に基づいていた。

翌年、動物行動学の父コンラート・ローレンツは『攻撃―悪の自然誌』を書いて、人間に本来備わっていたはずの、殺戮能力と本能的な抑制能力とのバランスを、武器の発明が失わせたことを指摘した。
二つの世界大戦を経験した当時の人々は、戦争が人間の進化にともなう不可避の現象であり、人間にとって最も効果的な調停の手段だと見なしたがっていた。

しかし、その後の調査で猿人の傷は武器ではなく石に圧迫されてできたものだとわかった。猿人の後に登場した原人にも武器を用いて仲間を殺傷した証拠は見つかっていない。
500万年に及ぶ人類の進化史のなかで、戦争を是として暮らしたのはほんの最近の数万年か、数千年のことのようだ。
また、その後人間に近い猿や類人猿の野外研究が進むと、動物における攻撃行動も負ではなく正の意味があることが明らかになった。

個々のサルたちにとって攻撃とは自己主張をする手段である。弱すぎれば相手に無視されてしまうし、強すぎれば相手の反感を買う。相手と状況によってそれをうまく駆使することにより、相手の抑制を引き出すことも、味方を得ることもできる。
つまり、攻撃とは互いの関係を認知し、双方の主張に沿って行動を変えるための共存の手段なのである。

ゴリラやチンパンジーなどの類人猿になると、けんかの際に第三者による仲裁がよく見られる。しかも、一見して力の弱そうなメスや子供が、屈強なオス同士のけんかに割って入ることがある。
これは、オス同士の闘争が自分たちの共存に大きな危機をもたらすことをメスや子供たちが知っていて、オス同士も仲裁によって引き分けるという結果を望んでいるからである。
弱者の仲裁は、互いに張り合うオスたちが面子を失わずに共存する絶好の機会を与えてくれるのだ。

長い間、威嚇と攻撃の象徴のように見なされてきたゴリラの胸たたき(ドラミング)も、実は特定の相手に向けられるものではなく、闘わずに自分を主張する平和な行動であることがわかってきた。
胸をたたくのは、相手に自分の殺意を伝えているのではなく、集団の長としてその状況に大いなる不満の意を表明し、相手の抑制を引き出そうとしているのである。
集団同士の出あいでは、オスが交互に胸をたたき合った後、なるべく対等の別れを演出しようとする。力の権化のようなゴリラのオスたちも、実はむやみに戦いたくはないのだ。

現代の戦争は、われわれの祖先がサルや類人猿から受け継いだ「仲間と共存するために必要な攻撃性」とは質が異なるように見える。
戦争に不可欠な「相手を抹殺するための攻撃性」は相手との関係や相手の性格を変更不能なものとの決めつけ、自然界には存在しない頑固で醜悪な敵を仮定したときに生まれてくる。
それは、人間が進化の過程で必然的に得た能力ではない。
相手を失ってしまったら、そもそも共存のために攻撃する意味が失われてしまうからだ。

数年前、今後動乱を体験したアフリカの友人は戦争が最近大きく変質したと顔をゆがめて語った。昔の戦争は男だけの行為だった。前線が通過し、敵に村が占領されても女子供は無事でいられた。しかし、今の戦争は相手を選ばない。
事実、世界各地で起こっている民族紛争で、犠牲者の多くは子どもである。少女はさらわれて妊娠させられ、その子どもは自分の親族を殺害する兵士として育てられる。その悲惨な事態を世界の大国は止めるどころか、武力を使って煽るばかりだ。
人々をテロへと駆り立てる心理が増幅しつつある。今や人間は、かつてない不気味な精神世界を作ろうとしている。

最近、人々の口からテロを抑止するために暴力を是認する声が聞かれるようになった。半世紀前と同じように、再び人々はそれが人間本来の性質だと思いたがっているように見える。
しかし、生物学者は安易にその風潮を支持するような意見を言うべきではない、と私は思う。
相手を抹殺することによって自分を守れるという過った考え、そのための武器や威嚇が調停の手段になるという幻想は捨てるべきだ。

われわれの祖先が社会を作るために発達させてきた攻撃性は、弱者が強者の対立に終止符を打ち、勝敗を決せずに共存する方法を教えてくれるはずである。弱者が自分の権益を守ろうと味方につく強い相手を選んでいては、その実現は難しい。
それは戦争を肯定し、勝者を作り出そうとする行為にほかならないからだ。抹殺せねばならない人間など、この世に存在するわけがない。
今こそ、人間は類人猿の社会を見習い、真摯な目で過去に通ってきた精神世界を見つめ直す時なのかもしれない。


山極寿一 やまぎわ・じゅいち
1952年東京生まれ。京都大大学院博士課程修了。アフリカでゴリラの野外研究を手がけ、現在は人間の進化を考える仕事を進めている。著書に『家族の起源』『父という余分なもの』『ジャングルで学んだこと』など

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朝日
2001/11/02
夕刊 19
No .N510a011102e19
アメリカ/ウエストバージニア州
高校2年

15
シソンビル高校・ケイティ・シエラ
シリーズ・特集;
見出し:
「反戦クラブ」計画女子高生停学処分/米国/裁判官も支持
メモ :
米軍のアフガニスタン攻撃に心を痛めた米国の高校2年の少女が、校内で反戦クラブを組織しようとして、停学処分を受けた。処分を取り消すようも止めて提訴したが、「この時期の反政府活動は教育現場を混乱させる」と裁判官も停学を支持した。

ウエストバージニア州チャールストンにあるシソンビル高校に通うケイティ・シエラさん(15)。2001年10月中旬から「アフガニスタンで死んでいく子どもたちをテレビで見て、国家安全保障の新しい意味に気付いた」と手書きしたTシャツを着て登校。戦争中止を求める「無政府主義クラブ」を結成しようとビラを配布し、約20人の賛同者を集めた。

これを知った校長は「この難局下に反政府主義を標榜するのは、真珠湾攻撃の直後の米国で日の丸を振りかざすようなものだ」と3日間の停学処分にした。教育委員会も全面的に支持した。

シエラさんの祖父はベトナム戦争に出征し、おじは湾岸戦争に従軍したという軍人家庭。それでもシエラさんは「学校に表現の自由を侵害された」と2001年10月30日に提訴した。審理では原告として自ら陳述し、「米国がアフガニスタンの人々に対して今やっていることは、テロリストが米国民に対してしたことと同じ。どちらも間違い。戦争中止のメッセージを学校の仲間に伝えたかった」と訴えた。

11月1日に言い渡された判決は「学校教育を混乱させる」という理由で、反戦Tシャツを着用すること、無政府主義クラブを旗揚げすることの両方をシエラさんに禁じた。


    管理人:「自由の国アメリカ」の底が知れる事件です。

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京都
2001/07/18
夕刊 5
No .N510k010718e5
北海道/南幌町
大学講師

36
有道出人(あるどう・でびと)
シリーズ・特集; 私たちの政治学 3 地域の目から
見出し:
外国人入浴拒否に反発/「人種差別禁止法」必要
メモ :
「外見で拒否するのは人種差別」と入浴拒否を訴えた米国出身で白人の有道出人(あるどう・でびと)さんは混血の娘を差別のない環境で育てていけるのかと悩んでいる。

2000年10月、有道さんは日本国籍を取った。日本人の妻との間に5歳と7歳の娘が二人。二女の髪はくり色だ。「いつも一生懸命な日本人がリラックスしている風景が好き」。15年前、義理の父に連れられて入浴して以来、大の温泉好きになったという。

2年前、家族と北海道小樽市の入浴施設を訪れた際、自分だけでなく、日本人離れした容姿の娘も大人になったら拒否されるだろうといわれショックを受けた。

北海道では入浴施設に限らず、ロシア船員とのトラブルを理由に外国人を閉め出す店が後を立たない。「何もしなければ、娘が将来、多くの店で排除される」という危機感が、差別禁止を求める運動の原動力となった。

「ふろ論争」は海外メディアも取り上げた国際問題に。有道さんと話し合いを重ね「外国人お断り」の看板を下ろす施設も出てきた。

国や小樽市は人種差別と認めながらも、強い指導はしない。有道さんは「罰則規定を含む人種差別禁止法が必要」と国会議員などに陳情を重ねたが、外国人には参政権がない。「永住外国人は税金を払って社会に貢献しているのに不公平。選挙権があれば、候補者も外国人の言葉に耳を傾けるのに」とため息をついた。

昨年の衆院選では入浴拒否と人権の問題を考えてもらおうと、各党にアンケート。結果は人種差別禁止法について民主、社民が積極的。自民、自由が消極的。公明、共産は「検討したい」だった。

民主は2001年6月、人権基本条令を道議会に提案すると発表。参院選で初めて選挙権を手にする有道さんは「比例は民主に入れる」と意気込んでいる。

一人の女性が生涯に産む子どもが平均1.35人まで減少する中で、国際結婚は年3万組を超える。有道さんは「日本が今の経済力を維持するためには、さらに多くの外国人労働力が必要。外見が違っても一緒に暮らせる社会を」と訴えている。


 管理人:参考資料として「人権救済制度の在り方について(答申)」の第4章-第1節 をご覧ください

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読売
2001/04/27
朝刊 16
No .N510y010427m16
オランダ



タイム誌4月23日号=特約
シリーズ・特集;
見出し:
オランダ安楽死法  難しい『線引き』/情緒障害どう対応/曖昧さ危惧する反対派
メモ :
オランダで12歳以上を対象とした安楽死を合法とする新法が成立した。安楽死を公に合法化した国は他にない。近年オランダを含むコロンビア、スイスなど数カ国では、安楽死を刑罰の対象にしない慣行があった。同法が今秋発効すれば、意思は12歳の病の子どもでも、本人が希望し、両親が同意することを条件に、安楽死させることが許されるのだ。

オランダが完全な自殺自由の国になったわけではない。申請患者が耐えがたく絶望的な状況にあると二人の医師が認定しないことには安楽死は認められない。事後的にもおのおののケースを弁護士が検証する。

オランダの法に類するのはアメリカ合衆国オレゴン州にのみ存在するが、同州の法はオランダの法ほど包括的ではない。規定が厳格なため、医師が致死量の薬を処方した例は、1998年から2000年末までにわずか96件。対するオランダは、すでにざっと年4000人のペースで安楽死の処置が施されている。

オランダのがん患者レニー・レムケルトさん(68)は、患者が絶えがたい苦痛にさいなまれていることを(安楽死の)必須条件とするオランダの法はむごいと指摘。「(患者の回復の)見込みがないと言う事実で十分では?」と話す。

安楽死反対派が焦点を当てているのは情緒障害を抱えた人たちのことだ。オランダ医療倫理センターのヘンク・ヨヘムセン氏は「弱気になった病人は、自分が(家族の)重荷と考え、より進んだ治療を受けたいと思っていても、安楽死を選ぶだろう」と危惧する。

現実の法はどうあれ、医師による表ざたにならない自殺幇助はもう何年も続いてきた。マンハッタンのベス・イスラエル病院の末期医療専門家、ローレン・シャイオバ医師は「医師は『家に帰って好きにしなさい』という暗黙のメッセージをセットにして薬を渡すのだ」と説明する。
疲労と絶望に押しつぶされて死を待つ人にとり、それが唯一の打開策というケースもないわけではないと彼女は語る。

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朝日 2001/04/11 夕刊 1 No .N510a010411e1
オランダ 上院
シリーズ・特集;
見出し:
オランダ/安楽死法が成立/国で初、年内にも合法化
メモ :
2001年4月10日、オランダ上院は安楽死を合法化する法案を賛成46、反対28で可決した。同法案は、2000年11月に下院を通過していることから国としては世界で初めて安楽死を合法化する法律が成立した。

安楽死の要件は
・患者の明確な意思表示がある
・耐え難い苦痛がある
・治療の方法が残されていない
・第三者の医師と協議する
・認められる患者は12歳以上で16歳未満の場合は親権者の同意が必要
など。

1993年からは、今回成立した法律とほぼ同様の要件を満たした場合、検察庁に報告すれば、医師は刑事訴追されない措置が取られていた。

1999年には2216件が報告され、実質的には安楽死が広く受け入れられている実状がある。

安楽死は、アメリカのオレゴン州で合法化されているほか、ベルギーの上院でも法案が審議されている。

オランダの安楽死合法化は、自分の死に方を選択する考え方の流れに影響を及ぼしそうだ。


管理人:この3年後の状況を伝える記事「安楽死、昨年は1815件 オランダ 01年から年々減少」はこちらから


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読売
2000/12/18
夕刊 8
No .N510y001218e8-1
世界




シリーズ・特集;インターネット探訪/遊歩人
見出し:
飢餓を減らす/一日一回小さな協力
メモ :
1999年6月にアメリカのインディアナ州の民間人が始め、現在は「グレーター・グッド・ドット・コム」が引き継いでいるた「ハンガー・サイト」というホームページを開くと、「3.6秒ごとに、だれかが飢餓で亡くなっています。その75%は子どもです」という言葉が現れる。

その下の世界地図には3.6秒ごとに黒く点滅する。飢餓で亡くなった人の声亡きサインだ。「ここをクリックして」という黄色のボタンをクリックすると、「ありがとうございます。ご寄付により、植えた人に主食を差し上げます」と英文が掲載される。

仕組みは簡単だ。このボタンを一回クリックしたことで、ページに広告を載せている企業から0.5セント(約0.55円)の寄付が送られるようになっている。

広告主にとっては、「ハンガー・サイト」に協賛することによって、企業のイメージを高める事ができ、ここを入り口に自社のホームページものぞいてもらいやすくなる。

インターネットを「探訪」する人にとっても、アクセスするだけで飢餓の撲滅へ小さな協力ができる。平日では1日平均25万人がクリックし、それが約20トンの食料となる。

ニューヨークに本部を置く「ハンガープロジェクト」では、食料増産、家族計画、栄養、健康、教育」の責任を多く負っている女性への力付けを重点にし、女性への職業訓練や農業指導、教育などの機会を作り、地域のリーダーを育てている。

「日本国際飢餓対策機構」では、エチオピアに拠点を設け、食料と医療の支援をしている。

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京都 2000/11/29 朝刊 9 No .N510k001129m9-1
オランダ オランダ議会下院
シリーズ・特集;
見出し:
安楽死を合法化/世界初/オランダ議会可決
メモ :
2000年11月28日、オランダ議会下院は安楽死を合法化する法案を可決。

当初は12〜16歳の未成年も、親が反対しても安楽死が選択できるとの条項があったが、世論の支持が得られず撤回。

オランダでは、すでに一定の条件を満たして安楽死させた場合、検察官が医師を訴追しないことがあった。このため1995年から1997年に報告があった安楽死は約6500件で、訴追されたのは8件にとどまっていた。

アメリカ合衆国オレゴン州ではすでに認められているが、国としては世界初。、隣国のベルギーでも同様の法案を審議中。

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朝日 1999/09/28 朝刊 33 No .N510a990928m33
東京都 都知事 石原慎太郎
シリーズ・特集;
見出し:
石原都知事発言/障害者議員ら抗議文を送付
メモ :
東京都の石原慎太郎知事が重度障害者の療育施設を視察した感想として、「ああいう人達に人格はあるのかね」などと発言したことに対し、障害のある議員らでつくる「障害者の自立と政治参加を進めるネットワーク」(代表=入部香代子・大阪府豊中市議、100人)が1999年9月27日、石原知事に抗議文を送った。

「発言は障害者に対する人権侵害であり、人間そのものを否定することで絶対許すことはできない」とし、謝罪を求めている。

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