感激!観劇雑感

みんなから寄せられた劇評や感想文を掲載するコーナーです。道演集の芝居に限らず、どんな芝居でも観たら、観劇したら原稿をお寄せください。チラシなどもいっしょに頂けると活用できます。



2013年上演分は、こちらです。観劇雑感2013年版

2011年上演分は、こちらです。観劇雑感2011年版

2010年上演分は、こちらです。観劇雑感2010年版

2009年上演分は、こちらです。観劇雑感2009年版
2008年上演分は、こちらです。観劇雑感2008年版

2005年上演分は、こちらです。観劇雑感2005年版

2004年上演分は、こちらです。観劇雑感2004年版

2003年上演分は、こちらです。観劇雑感2003年版

2002年上演分は、こちらです。観劇雑感2002年版

2001年上演分は、こちらです。観劇雑感2001年版

 

 

目次
北見市民劇場           2013年(平成25年)6月23日(日)  
  「ニコ没物語」                           田丸 誠
劇団海鳴り            2013年(平成25年)11月23日(土) JUMP
  「風薫る日に」                           田丸 誠
     
 

トップへ戻る

北見市民劇場                    

   2013年(平成25)6月23日(日)19時

北見市端野町公民館グリーンホール

   『ニコ没物語』  (作  松岡 義和  演出 松岡 義和)

 

田丸 誠

 




 

 本年(2013)6月23日、北見市端野町公民館グリーンホールで北見市民劇場『ニコ没物語』2幕4場が、昼2時・夜7時の2回上演され、私は夜の部を観てきました。

昼の部は多かったそうですが、夜の部の観客は百人もいなかったのではないでしょうか。

この『ニコ没物語』の初演は、平成21(2009)に大空町の町民劇団「めまんべつ」での公演だったと思います。「ニコ没」とは、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一の孫=渋沢敬三の造語で「ニコニコしながら没落していく」という意味だそうです。 

 芝居の舞台は、洞爺丸台風の翌年、昭和30(1955)の小さな町(想定は先生の出身地である訓子府)で、不運にも天災で土建屋を閉業することになった竹林直太郎を主人公にした人情芝居で、荒筋は次のとおりです。

  一幕目の舞台は、主人公である竹林直太郎(佐藤 保)が贔屓にしている居酒屋です。その居酒屋に竹林組の人夫、大沢(阿部雄治)、木山(山崎 亮)の二人が登場し、竹林組が洪水で納期直前の工事現場を流されて大損害を出し、倒産のピンチにあることが女将=京子(大野麗子)との会話の中で明らかになります。そんなところに酒屋の息子、泉太郎(長田泉里)が注文聞きに来たり、満洲からの引揚者で校長であったらしい訳あり浮浪者の源さんも姿を見せます。

やがて竹林が事務員の横峯淳子(長田明日香)を連れて登場し、その彼がポケットマネーで出している奨学金を貰いに高校生の宮本一子(佐賀明日香)が訪ねてきました。加えて、結核で失業した兄とその娘を抱えて悩んでいる看護婦見習いの合田光子(上伊沢美華)が相談にきました。話を聞いた竹林は、自分自身が組の経営で苦境に立っているのに、光子が資格を取れるように、と子供を自宅に引き取って面倒を見ることにし、結核の兄が治療を受けられる療養所の手配もしてやることにします。

 二幕目は年明けの組事務所、竹林は所有していた一等地を銀行に取上げられましたが、何とか住む家だけは確保できたと事務員に話しているところに、妻・美代子(土田晃子)の妹(定森小百合)夫婦が金を工面してくれと押しかけてきました。義弟の松本(服部政彦)は脱サラで北見に電器屋を開業したものの、放漫経営で売上金を回収できず、このままでは倒産するといい、その過程で妹夫婦が銀行から金を借りるため、竹林には無断で住宅が担保になっていることが明らかになりました。さすがの竹林も怒り、妹夫婦への援助を断り、傷の浅いうちに店をたたむように言います。

 最終の四場は、その一月後の雪の事務所。竹林は世話になった人達に迷惑をかけぬように、財産をすべて処分し、再起を期して組を閉じることにしました。東京へ美術系の大学へ受験に行っていた娘・洋子(麻 緋)も帰ってきました。娘は将来漫画家を目指したいといい、竹林は家のことは心配せずに、自分の夢を実現するように励まします。

 そこへ、竹林が組を解散すると聞きつけた人夫たち、世話になった町民達(長田淳司・小野田洋子・冨木清治・芝木あき子)が続々と駆けつけきて、口々に竹林に事業を続けてくれと言い、事務員の横峯は自分が貯めた金を資金に組を株式会社にすることを提案し、それに賛同した住民達も次々に株の購入を申しでます。最初は社長就任を渋っていた竹林も、源さんが無けなしの金を差し出すに及んで、気持ちが動き承諾します。その時、電報配達員(長谷川和義)が洋子の合格電報を届けにきて、二重の喜びの中で幕となります。定刻午後7時開演、途中10分間の休憩を挟んで、終演は845分でした。

  この芝居は、松岡先生のご親戚が経営していた「竹村組」のことが下敷きになっているようです。先生のお父さんは竹村組の小頭(現場責任者)をしていたとのことです。洋子の美術系大学受験も、先生自身の日大受験と時期的に重なります。つまり、松岡先生の私小説的なお芝居と言っても良いでしょう。その分だけ、松岡先生の思い入れも格別なのかもしれません。そして全体を通して「無償の施しをすれば、いつかお返しがある。」という先生の考えが表現されているようでもあります。

 ただ、見終わって変だと思ったのは、題名で「ニコ没」といいながら、最後に竹林は株式会社の社長になったのですから、少しも社会的に「没落」などしていないわけで、この結末は矛盾していると思いました。もし、私がここを書くとしたなら、竹林組の創業者と同じように、裸一貫、人夫たちと一緒にスコップを握って働くぞ、と決意するところで幕とするのが妥当なところでしょう。

 また、会話で出てくる「番茶わり」や「マンション」などの用語は、私の記憶では1970年代に出てきた言葉です。洋子が大学受験で赤坂プリンスホテルに泊まって15万円も浪費したというのも、手持ちの参考資料を参照した限りでは15千円程度が適当ではないか、等々、時代考証で疑問なところがたくさんありました。

人間は、善も悪も持ち合わせている生き物です。そこにドラマが生れるわけです。残念ながら、このお芝居にはドラマとしての葛藤性は希薄でした。

アニメ作家・宮崎駿も、今はファンタジーを描けないと言っています。

映画『三丁目の夕日』と同様に、人情が厚かった昔は良かったと懐かしむのも良いでしょうが、現実には原発、TPP問題、貧富の格差、非正規労働者の増大と貧困化など、生活に直結した切実な問題が、私達の目の前にあるのです。もう世の中の不公正を正すのに、超人や有力者の善意に頼るだけでは根本的に解決できないのです。

今や芝居をやること自体が難しい時代ですが、演劇人は娯楽を提供するだけでなく、私達庶民が直面している問題を真剣に考え、改善する方法を探ること、石川啄木が言っていた「明日への考察」が今も必要ではないか、と思っています。

  役者の演技についても触れておきます。

遠く網走などから芝居の稽古に来てくれている人もいるのに、出席が少ない人もいて、役者全員が揃って稽古することがなかなか出来なくて、助演出を実質担当した大栄一裕君や舞台監督の相沢圀夫氏は苦慮したそうですが、当日の芝居を観る限りでは、役者個々に難点はあっても、大きな破綻はありませんでした。

主人公竹村役の佐藤君(劇団「錬」所属)は体格も大きく、松岡先生を連想させました。二十代の若い佐藤君が、五十代の親父の悩み・孤立感・哀感を表現するのは少々無理がありましたが、それでも落ちついた演技で大健闘だったと思います。

女将役、ベテランの大野さんは、いつものように演技が安定していて、何の心配もなく安心してみていられました。

人夫役の阿部・山崎両氏も、それぞれ芸達者で、もっと芝居をやりたかったように見えました。出番が少ない分、不満だったのではないでしょうか。

源さん役の波多野先生は、幸いなことに科白が少なく、老人らしい身のこなしで、これまでになく良かった、と思います。

御用聞きの長田泉里君は、これは演出の責任ですが、何を照れていたのか、行動がでれでれしていました。もっと少年らしく、元気できびきびした動きが欲しかったです。その泉里君のお母さん、事務員役の明日香さんは声も表情も若々しく、役柄にぴったりでした。ちなみに、ご主人の長田淳司さんも町民役で参加していました。今回も一家総出演です。

女子高生役の佐賀さん(劇団「錬」所属)は、初舞台とは見えぬ落ち着いた演技でした。次は「錬」での活躍を期待しています。

看護師見習い・合田役の上伊沢さんも初舞台でしたが、声は小さくとも科白は入っており、がんばって演技していました。ただ、配役の関係で仕方なかったのかも知れませんが、役の年令が何歳なのか不明でした。

竹林夫人役の土田さんとは、私が図書館で勤務している時に図書館を応援する団体の役員さんとして大変お世話になりましたが、子供たちへの読み聞かせがベースになっているのか、初舞台だそうですが、なかなか良い演技をされていました。今後が楽しみです。

その妹役の定森さんは達者な役者であることは分かりましたが、これも明確に演出の責任ですが、演技のテンションが高くて全体とのバランスに欠けていました。その夫役の服部君は、仕事の関係で時間の取れない中で何とか芝居をやった、という印象でした。

今回の芝居では幸い破綻がなかったものの、私が観ても役者間の演技のレベルや意識の違いを感じるところがありました。それを今後どう解決するか、一考が必要でしょう。

 なお、このお芝居には「北見市民劇場」が冠され、当日渡されたプログラムに「北見市民劇場は、北見市及び周辺市町の演劇が好きな人たちの集まりです。」と説明があり、実行委員会が主催していることになっていますが、実質はこの芝居の作・演出である松岡義和先生が主宰するプロデュース公演です。今回も松岡先生が日程を決めて3月5日「実行委員会」を開催され、上演作品・上演日程も先生から提案され、その後、公募で足りない役者・スタッフは先生の人脈で確保されたようです。 

また、同プログラムに、松岡先生が主宰する「北見市民劇場」第1回作品を、平成8年(1996)の北見市開拓百年を記念した市民参加劇『風は自由ですか 大地は緑ですか』だと書いてありましたが、この市民参加劇は昭和51(1976)北見市開基八十年を記念して道内初の市民参加劇として劇団河童が上演した『御本山農場』の延長上にあり、北見市開拓百年祝賀行事の一環として公演されたものです。その原案は菅原政雄先生で、脚本を書いたのは松岡先生ですが、主催団体も違い、松岡先生が現在主宰している「北見市民劇場」とは全く別物です。

したがって、松岡先生が主宰する「北見市民劇場」の第1回作品は、正確には平成22(2010)の『ピアソン夫妻とヴォーリズ』であることを記しておきます。

 

 

劇団海鳴り                    

   2013年(平成25)11月23日(日)19時

                           紋別市民会館大ホール

   『風薫る日に』  (作・ふたくちつよし  演出・高橋篤行

 

田丸 誠

 




 20131123日夜・24日昼の2回、紋別市民会館大ホールで、劇団海鳴り第43回定期公演『風薫る日に』(作・ふたくちつよし、演出・高橋篤行)がありました。

この作品は俳優座のために書き下ろされ、2006年に初演されたもので、それを「海鳴り」がどのように料理したか楽しみに、23日に大栄君の車に同乗して紋別へ出かけました。

 開場前には、遠路小樽から来た劇団新芸の鹿角氏や、釧路演劇集団の玉田氏と会い、挨拶することが出来ました。

  6時半開場で大ホールに入ると、やけにこった欄間と時計が目立つ、床の間付の和室のセットがありましたが、舞台が大きすぎて袖幕でセットを囲っている状態でした。セットとしては、紋別市文化会館の多目的ホールを舞台にした方が落着いたのにと思いました。

 内容は要約すると、「風薫る」五月連休の某日、米寿を迎えた頑固者の平山正綱(我孫子正好)を囲んでお祝いをする家族たちの話です。

開演7時、芝居は平山が外出中に同居する正綱の娘=石橋幸子(伊藤純子)が父親に内緒で改修業者(三室博一)と家をバリア・フリーにする相談をしているところから始まりました。業者が帰ると入れ替わりに平山が帰宅、床屋の隠居=望月勝一(斉藤利治)を米寿の祝の席に招待したと告げます。そこに隣家の横井政代(諏訪陽子)が自宅で不要になった車椅子を、幸子に頼まれて届けにきました。ちぐはぐな会話の後、娘のすることに機嫌を悪くした平山は自室に引っ込みます。

 幸子の音頭で、夫=石橋信之(松浦伸二)と娘の有紀(舘山留美子)は、お祝いの準備を始めます。そこに平山の妹=坂崎松江(五十嵐陽子)が兄からお祝いに呼ばれたとやってきます。予定していなかった叔母の登場に困惑する幸子。気位の高い松江は、平山の長男=正昭(進藤史郎)とその妻=千晶(白滝久美子)の一家が姑との確執が原因で平山家を飛び出して、絶縁状態であることを強く非難します。

そのような時に、有紀の恋人=富岡雄司(中村大地)が突然訪ねてきて、有紀に別れを告げます。余りのことに心乱れ、それでも健気に平気を装う有紀でした。

 場は一転して祝宴。陽気な床屋の隠居、望月は場を盛り上げようとします。その場に、幸子が父と和解させようと内々連絡を取っていた兄夫婦と次男の裕太(岩鼻誠一郎)が登場します。拒絶する父と、千晶をなじる松江。それに耐えて、正昭はガンで入院した病院で昔の父を知っている人物と知り合って、父親の気持ちが理解できるようになって、これを機会に和解する決心をしたと言い、その人物と時間を合せて来る予定で、その時に渡すつもりであったお祝いのグァム旅行の券を先に正綱にプレゼントしますが、旅行先を聞いて、何故か平山は激怒し、チケットを投げ捨ててしまいます。

 そこへ息子(高山修一)の車で遅れて到着した正綱の戦友=寺岡茂治(江田満)が表れ、正綱との久方の再会を喜び、戦中南方行きの輸送船が撃沈されて、山田一等兵とともに漂流した時に正綱の冷静な判断で死ぬところを救われ、それ以来何度も世話になったことを皆に説明し、家族たちはその話に感動します。しばし、旧交を温めて歓談していましたが、寺岡は山田の写真を取り出して、彼に謝ってほしい、と正綱に迫ります。そうして貰わないと、余命いくばくもない自分は往生できない、と言います。何故なら、戦争末期、正綱は寺岡たちに黙って、戦線を離脱して米軍に投降し、事情を知らなかった山田は正綱を最前線まで探しにいって敵に射殺された、というのです。

 正綱は戦友たちを見捨てて捕虜になったことが負い目になって、戦後、戦地で起きたことは秘密にし、息子には常に「勝つ」ことを強要し、母はそのような夫である正綱を擁護して、頑なに家の掟を押し付けるようになり、その摩擦で自分たちは家を出ることになった、と息子の正昭は自分の考えを披瀝します。

 結局、正綱は謝罪し、寺岡に誘われて、山田が死んだグァムに行くことを約束し、また長男の家族たちとも和解します。そこへ施設でパンづくりをしている正昭の長男=正太(三澤智文)が現れ、自分が作ったパンを祖父へプレゼントして帰ります。

 清々しい風の吹き抜ける縁側で、有紀が電話を受けて、何やら微笑んで幕となりました。

 休憩なし、1時間50分の芝居で、240人程度のお客さんでした。

 中心になる登場人物は、「海鳴り」の団員で固められ、配役は現状の「海鳴り」では最善であったと思いました。

主人公である平山役の我孫子氏は実年令より20歳以上も上の役で少し無理があったものの、無難にこなしていたと思います。

平山の娘=幸子役の伊藤さんは、いつもながら安定した演技で芝居を牽引していて、安心して見られました。

幸子の夫=信之役の松浦氏も、家族間のトラブルの緩衝材としてのマスオさん的な役で、得意の飄々とした演技で楽しめました。

夫婦の娘=有紀役の舘山さんは適役で、回を重ねるごとに芝居が良くなっており、今後も楽しみにしています。

正綱の長男=正昭役の進藤氏は器用な役者さんではないようですが、一生懸命に演技しているところがよく伝わってきました。

「海鳴り」初舞台の千晶役の白滝さんは、声が細いのが気になりましたが、紋別に来る前に芝居をやったことがあるのでしょうか、落着いた演技で大変好感が持てました。

お節介な正綱の妹=松江役の五十嵐さんは、今回は役を伸び伸びと楽しんでいたようです。役者として、それは大事なことだと思いました。

正綱の戦友=寺岡役の江田氏とは、北見の劇団「錬」を退団した江口氏の芸名です。口にバッテンして江田にしたのでしょうか。実年令より相当高齢の役でしたから無理がありましたが、久しぶりの役者で熱演でした。

床屋の隠居役の斉藤氏も、年若くとてもご隠居さんには見えませんでしたが、下町の親父で、気遣いする役柄をよく演じていました。

工務店主役の三室氏は、本当にチョイ役でした。次回は、もっと出番のある役をやってください。

隣家の主婦役の諏訪さんは、場面が対立緊張すると、いつも突然ご馳走のお裾分けを催促に登場するおいしい役で、笑えました。

今回、この公演で私が一番驚いたのは新人さんが多く出演していたことでした。青年が文化活動に参加しない時代によく集めたものだ、と感心しました。有紀の恋人が登場した場面で、観客が「あっ、先生だ。」と話していましたから、最近紋別に赴任してきた若い先生たちが中心のようでした。中には、活舌が悪く、何を言っているのか明確でない人もおりましたが、それでも何とか全体として破綻なく芝居に仕上げていました。

若い人がいると芝居の活気が違います。これからも、この人達が「海鳴り」の芝居に参加してくれることを期待しています。 

一番納得できなかったのは照明でした。芝居の進行とともに、照明も自然に変化していくのが当然です。しかし、この芝居では最初から朝なのか、昼なのか定かでなく、登場人物の心理を象徴するためだったのかもしれませんが、突然、夕暮れとも何ともつかない照明になったりして、見る側としては混乱する演出でした。

その結果、せっかく暗転して時計の針を進めても、何の意味もないように感じました。あれなら、最初から時計をはずして置いた方が、暗転の時間も短くなって良かったのではないでしょうか。

あと、細かいことですが、スピーカーからのハム音が気になりました。音が必要ない時は、スイッチを切ることも必要でしょう。

「海鳴り」の本選びは確かで、この作品もホーム・ドラマに戦争体験を織り込んだ良く出来た芝居でした。平山のように過酷な戦場体験を語ることなく戦後を過ごして、そのまま亡くなる方も多くいます。しかし、今、自民党政権が復権し、安倍内閣は特定機密保護法を成立させるなど、戦後日本国民が守ってきた平和を否定し、一気に戦争のできる国にしようとしていることに、高齢者の方々が危機感を持って自分たちの戦場体験を語り伝えようとしていることが、新聞の投書欄などを見ると感じられます。そのようなことを考えあわせると、この公演は時宜を得たものでもあったと思います。

芝居をしなければ劇団ではないわけで、苦しい中でも毎年芝居を打っている「海鳴り」の皆さんに敬意を表します。

本年(2014年)は、紋別での全道演劇祭があります。「海鳴り」は創作劇で参加するそうですが、今から楽しみにしています。                   (完)

このページのトップへ

 

TOPページへ