感激!観劇雑感 2002年版

みんなから寄せられた劇評や感想文を掲載するコーナーです。道演集の芝居に限らず、どんな芝居でも観たら、観劇したら原稿をお寄せください。チラシなどもいっしょに頂けると活用できます。

 

目次

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北見工大演劇部第8回公演       2002年1222日  北見芸術文化ホール 
  『恋愛戯曲』観劇記                  劇団河童団友 田丸 誠 ジャンプ

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劇団河童第39回一般公演        2002年12日  北見芸術文化ホール 
  『ら抜きの殺意』観劇記               元劇団河童  後藤 美紀 ジャンプ

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劇団河童第39回一般公演        2002年12日  北見芸術文化ホール 
  『ら抜きの殺意』観劇記               劇団みずなら 鹿野 能準 ジャンプ

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だいこん倶楽部第7回公演        2002年10月 6日 BLOCH ジャンプ

『 絢爛とか爛漫とか〜モダンガール版〜』観劇記  劇団河童団友 田丸 誠

名寄市民劇場102年劇公演       2002月1日 名寄市民会館 ジャンプ

『 人情天塩路 旅芝居がゆく』観劇記       劇団河童団友 田丸 誠

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名寄市民劇場102年劇公演
 『人情天塩路 旅芝居がゆく』観劇記      劇団河童団友 田丸 誠

全道演劇祭に対抗するかのように、「2002年名寄演劇祭〜今、北の演劇ルネサンス〜」と銘打って、20029月の1日、7日、15日、22日と、演劇祭が名寄市で開催された。

2000年の市民参加劇の盛り上がりをきっかけに、市民劇場を立ち上げ、昨年は松岡義和先生の作品で(劇団河童でも公演したことのある)『群像』を引っさげて、札幌公演も実現している。市民参加劇としては、本年で3回目となるそうだ。

その上で、名寄で「もののない昭和25年に当時の演劇青年たちが3日間通しで演劇祭をやった」という事実に触発されて、松岡先生を実行委員長に、この演劇祭をやることになったらしい。

かくいう私も、この演劇祭に北見から招待された「ムーにン谷のなかまたち」が公演する「子供のための劇場」に、人手が足りないということで、車で無理やり拉致され、そのまま名寄に連行され、91日、午後1時から1時間、ナレーターと幕開閉スイッチ役を強制労働させられていた。その帰りに、松岡先生が書いた創作市民参加劇『人情天塩路 旅芝居がゆく』を観る機会を得たしだいである。

 この芝居は、同じ91日、午後7時から開演。会場は名寄市民会館であるが、公民館のそれより幾分大きいぐらいの舞台で、舞台袖も奥行きもなく、収容人員も400名にならない程度のもので、講演会ならともかく、芝居にはまったく向かない小屋である。

 最初から困難は目に見えているのに、敢えてその舞台にキャスト・スッタフあわせて100人を超える市民を載せ、セットを組むというのだから、松岡先生らしい。

 芝居の筋は、戦争の傷も癒えない昭和22年、名寄の映画館「文化座」(モデルは電気館らしい)に流れてきた旅芝居の松五郎一座と地元農婦・青年団員との交流を縦軸に、若い旅役者と青年の恋の鞘当があったりしながら、また一座は旅に出る、その8日間の出来事を描いている。

 旅一座となれば、渋谷健一氏が得意とするところで、これまでの道演集の全道演劇祭の札幌ブロックの出し物として1978年の『放浪記』以来、お馴染みである。こちらは斉藤和子さんを座長にして、芸達者な役者連が明治の北海道を舞台に大立ち回りを見せてくれて、毎回わくわくして見せてもらった。旅一座と言うのは、突然やってくる非日常という意味で、芝居にしやすい側面も持っている。

 私も幼少の頃(当然、戦後)、母の実家のあった中湧別の映画館で、旅一座の『義経千本桜』を見ている。篭脱けや、綱渡りといったケレン味もたっぷりで、驚きながらも、楽しんだ記憶がある。こうした旅芝居から、昔の人は歌舞伎の知識や人生の教養を身につけていたかもしれない。松岡先生も出身地、訓子府の実家の近くに芝居小屋でがあったそうだから、こうした旅芸人の姿を見ていたことが、作品に反映しているのだと思う。

 導入は文化座の若旦那、一太郎のところへ、幸江(松岡先生好みの美人)が嫁入りする行列が,芝居会場へ入場してくるところから始まる。あちこちからキャストへ声がかかり、和やかな雰囲気であった。ただ難をいえば、披露宴シーンで新郎、新婦と参集したお客さんとの交流が十分で出来ていなかったと思う。

 また、名寄に乗り込んでくる肝心の松五郎一座だが、座長の松五郎役はそれらしくあったが、細かい所作には少々不満をおぼえた。刀一本腰に差すにしても、だらしなく見えて仕方なかった。ここは、日本舞踊を習うなり、ピシッと和服が着こなせる特訓が必要であったように思う。若い座員が青年団員に芝居についてお説教するにしては、その立ち居振る舞いがお粗末で、劇中劇で座員がお世話になった農婦にお礼として「国定忠治」や「瞼の母」を演じる場面があったが、さっぱりうまいとは思わなかった。やはり、ここは格好良くきめてほしかった。それでなければ、町のおぼこ娘が惚れるわけがないのだ。「下町の玉三郎」で売れた梅沢一座も、結構、こうした所作については厳しく座員を指導しているのを、テレビドキュメントでみたことがある。せっかく役者として良い素材を持ちながら、市民劇場だからと甘えて、身内受けを狙ったり、手抜きをしてはいけないと思う。何度かは通用しても、最後はあきられる。

 芝居正味1時間半の中で、2幕8場もあるのだから、舞台転換が大変なのである。裏方はよくがんばったとは思うが、大道具については、条件の悪い舞台を考慮して、知恵を出し合う工夫が必要であったように思った。たとえば、若い座員清三と、地元青年団員夏子(こちらも美人)の逢瀬で使う腰掛に必要以上に大きな箱台が用意されていたが、あれも縁台か、木製の丸椅子2脚で十分だ。セット壁面も裏表を使い分けるとかすれば、数を減らし、少しでも転換の負担を減らすことができたと思う。また、転換のブリッジの音楽が必ずしも次の舞台を期待させるものではなく、関係ない大音量の勇壮な曲で少なからず興ざめであった。また、舞台に地ガスリを引いていないために、舞台床面からの照明の反射が目障りであった。

 「つらい時、困ったときはいつでも名寄に帰っておいで」がメッセージらしく、芝居全体を見て、良くも悪くも松岡先生らしい作品で、心やさしい人ばかりで悪人が出てこない。実際はもっとドロドロしていると思う。ある旅役者が「旅芝居では、巡業先の女の子が役者に熱を上げて駆け落ちなんてのはたくさんあったし、遊んで捨てたこともあった」と、テレビで語っていたのを聞いたことがある。それから見ると、夏子と清三の関係の何と機清らかなことか。(あまり、そこにこだわると、横溝正史の小説になってしまうが。)

 文化座についても、これからは映画の時代といいながら、映画館らしいところがさっぱり見えない。ポスターや流行歌を多用してもよかったと思う。結局、あの旅一座のような大衆演劇は、劇作家井上ひさしが指摘しているように、ストリップや映画に駆逐されていったのではないか。そうした点の書き込みも必要な気がした。

 しかし、偉そうに言わせてもらうと、不満があるにしても、これまで私が観た松岡先生の創作劇の中では一番出来が良かったと思う。

 ところで話はそれるが、それにしても名寄市民は電気館という文化財を持っていると思った。この芝居で使われた芝居用の引き幕(定式幕)、名前入りの半纏と番傘、どれを取っても今では中々手に入らないものばかりである。こうした映画館とその文化を残すことも、名寄市民にとっては大切なことだと思う。(残念ながら、北見では大手資本シネマコンプレックス進出のおかげで、地元映画館は絶滅してしまった。)

 

 普段、芝居などに縁の無い市民が参加した舞台となれば、これを指導していくのは至難の業といわざるを得ない。松岡先生のストレスは想像以上だったろう。

 私は、かねがね演劇は祝祭だと思っている。苦労して創り出したもの=芝居を、出演者も観客も一体になって、「分かち食らうもの」と考えている。しかし「祭」だからといって、参加した者たちが、てんで勝手にやることは許されない。各地の歴史ある祭は、それぞれの参加者が自分の分をわきまえ、責任を果たしているから続いているのである。そう考えると、総合芸術の祭典である名寄演劇祭も、中心になる役者やスタッフ責任者の方たちが、何時までも松岡先生を当てにせず、自分たちが「この名寄で札幌や東京とは違う文化を創造していく」という自立した自覚が必要になってくる。これからも継続して市民参加劇を創造するには、名寄市民自身でそうした意識を育てていくことが必要になってくるだろう。

 

 
だいこん倶楽部第7回公演
 『絢爛とか爛漫とか〜モダンガール版〜』観劇記      劇団河童団友 田丸 誠

今回は、現在12月公演に向け、稽古している『ら抜きの殺意』で私の相手役をしてもらっている田村正和君が演出をするということで、10月6日()、河童の仲間とエステマをレンタルして札幌に出かけ、だいこん倶楽部 第7回公演 『絢爛とか爛漫とか〜モダンガール版』を観てきました。

何しろ、北見から札幌まで、高速道路を利用しても4時間半はかかるので、北見出発は7時半となったわけで、札幌には丁度昼飯時に到着で、しかも会場である演劇専用小劇場BLOCHの道路挟んで向こう側がサッポロファクトリーということで、開場の130分までに時間がありましたので、嫌いでない地ビールなどを少々嗜んでしまいました。

 

開場時間にでかけてみますと、会場は民間ビルの中庭に面した一階の一角を利用して開設されていました。会場利用案内を見ると、全体で120席とあり、小劇場としては手頃なつくりでした。私など、白石加代子がデビューした頃の早稲田小劇場を思い出し、観る空間として整っているなぁとも思いました。札幌に在住のミキちゃんがすでにご到着で、「おしっこの近い人は入り口近く!」と厳しく弾圧されて、おじさんは仲間からはずれて、階段状になったベンチ席の下から2番目の舞台下手側に一人座ることとなりました。入りとしては40人もいたでしょうか。劇団員の家族か、知り合いか、小学校3年生くらいの女の子を連れた夫婦が私の前列にすわり、見渡すと他にも身内の方々がおられるようでした。

開演の2時より少し押して、暗転の中、スウィング・スウィングのジャズのリズムが鳴り響き、上流階級の4人の独身女性が我流のダンスを練習しているらしいシーンからはじまりました。舞台は主人公、野村文香(岡田みちよ)の実家の離れ。文香は文芸誌に作品が載ってから、文士気取りで書けないことに悩んでいる様子。洋装の柳原まや子(小林由香)はなかなか行動派のモダンガールで、華族の息子どもとも相当派手に交際しているらしい。男出入りに多い母親と違い、容貌に自信がなく、父親コンプレックが強い小林すえ(山田美月)は、田舎から和歌修行の名目で上京しているが、猟奇的な作品でそれなりに人気もあるらしい。正田薫(桜つぼみ)は、子がなせぬことを理由に嫁ぎ先から離縁されて、実家からも出て、市場に働き、自立している女性です。

モダンガールといっても、何のことやら分からぬ方もいると思うので、加藤迪夫編『20世紀のことばの年表』から引用してみましょう。1927年(昭和2年)、モガの項で「モダン・ガールを略して『モガ』といった。モダン=毛断(断髪)をして、長いスカートをはき、洋装ファッションに身を包んでダンスに興じ、映画を語り、銀座を歩く┉そんな女性を指して評論家の新居格が命名した。」とあります。

この芝居を簡単に言うと、その昭和初期、流行の先端にいたモダンガール4人の友情と別れと自立を、春・夏・秋・冬の四場で展開しています。柳原嬢は颯爽と文壇デビューするもあっさりドラ息子と結婚。小林嬢は父親の死で田舎に帰り、母親と和解。正田嬢は、これも実生活に基づいた作品で文壇デビューするも、市場労働者と結ばれて、ブラジル移民。主人公の文香は、やっと自力で創作するきっかけをつかむ。

 

 キャスト4人の女優さんたちは皆さん達者で、科白を流れるようにこなしていて、現在科白を憶えるのに悪戦苦闘しているおじさんとしては羨ましい限りでした。ただ、その反面、同行の仲間からも「会話劇としては流暢すぎて、眠気を催す場面が前半にあった。」との声もありました。(余談ですが、おじさんの席前にいた夫婦の奥さんの方が舟を漕いでいて、突然後ろにのけぞってきた時には、つい驚かされました。)

出来る役者を相手の演出というのも、怖いものがありますよね。より良くするには、演出として「アクセント」をつけていくことが必要であったかも知れません。その「アクセント」となるのは、役者の行動を舞台一杯に広げていくことや、会話として濃密に交流させていくこと等になるでしょう。お芝居では「これで良い」という限度はないわけで、そこが役者としてつらいところですが、役者には類型的な達者な演技ではなく、もっと違う演技が要求されると思いました。

 それと、こういう時代物を見るといつも気になるのは、着物です。場がかわるごとの着物着替えには相当苦労されたでしょうが、普段着としての着物と、晴れの着物では当然違うわけで、また年齢によっても違うわけで、その点で配慮される必要があったと思います。結構、茶道・日舞などをやっている女性などは敏感に「違い」を観ているものです。

 その着替えの時間を稼ぐのに、暗転の中での小道具の出入りで処理していました。これも中途半端な照明で見せるのではなく、堂々と若い下男役をお客様に見せた方がかえってすっきりしたかもしれません。(この出し入れを、演出の田村君がやっていたのはご愛嬌でした。)

 ただ、効果音が異質なような気がしました。自然音にしては、大きいような感じでした。

これも何か演出として意図があったのでしょうか。

 しかし、休みなしの2時間は長かった。年寄りにはベンチ席は、尻が痛くなってつらい。しかも、ビールの効果が・・・・。でも、おじさんは真面目に最後まで観ましたよ。

 

 それにしても、北見から札幌に通い、演出をし、帰っては我々の芝居の稽古をするという困難に立ち向かってきた田村君に拍手。今度は役者として、お互い頑張りましょう。

 

 芝居が終わると外は雨。直ぐに出発。雨に打たれて、暗い夜道を石北峠越え。

その時の、見えないセンターラインをオーバーするI氏の運転振りに、いつも豪胆なレイ子さんはじめ皆が何度肝を冷やしたことか。それでも、何とか0時前には皆無事に帰宅することができました。芝居観にいくのも、本当に命がけですよね。

 

 
劇団河童第39回一般公演公演
 『ら抜きの殺意』観劇記                     劇団みずなら 鹿野 能準
 正直に言って、創立46年目を迎えた劇団河童の劇評を、ようやく5年目を迎えた劇団みずならの私が書くというのは、かなり荷が重い気がする、っていうか40歳も離れたら父親以上だし、そんなこと書けない、っていうか勘弁してほしいなと思うんですが〜(ちょっとコギャル語入り)、劇場から出るときに布施さんに「劇評頼むね〜」って言われましたので無理して書きます。以下普通の言葉で・・・。

「ら抜きの殺意」、最初タイトルを見たときは一体何のことかわからなかった。たまたまウチの劇団にあった脚本を手にとって読んでみると、面白い面白い。はっきりいって好みだったのだが、本を読んだ直後に「河童が『ら抜き』をやるらしい」という情報をキャッチ。偶然にしてはできすぎと思いながらも、127()19:00〜の公演を、北見芸術文化ホールに観に行った。

 河童さんの公演を見るのは、北見演劇祭に次いで2度目、ビデオで2回ということで実はあまり見ていないし、演出が藤脇氏というのもはじめて見るので、とても興味があった(演出が多くて羨ましい・・・)。

 17:15に仕事を終えると代表片山とダッシュで斜里を出発、運転しながらサンドイッチを食べて、網走の凍結道路にもめげず1時間半かけて5分前に到着。会場に入ると、北見芸文ホールの中ホールはキャパ420に対して350くらいの入り。さすが歴史のある劇団だけに固定客も多そうで、小学生くらいの子どもからお年寄りまで、地域で愛される劇団であることが伺える。

 さてアナウンスに続いてブザー。緞帳があがってはじまりはじまり・・・。

 ストーリーについては本を買って読んでいただくとして(永井さんに貢献しましょう)、全編言葉の応酬が多く、「正確な日本語」「ら抜き言葉(見れない・食べれない・・・)」「コギャル語(っていうか・かも知んない・・・)「若者語?(○○じゃないっすか?)」「ことわざ」「方言」と様々な味のある台詞を、それぞれが生き生きと語り、本当に楽しめる作品だった。会場からも随所に笑いがもれ、脚本自体の良さをそのまま観客に伝えることができる河童の実力を感じた。特に山田さん・遠藤さん二人のコギャル語のやりとりは生き生きとしていたし、北見工大生米嶋さんの得体の知らない日本語と山形弁もいい。また田丸さんと田村さんの息のあった演技は、台詞だけでなく台詞なしのシーンで一段と光った。全体としては、劇団内の若い力の台頭を感じさせる公演だったのではないか(そもそも布施さんや波多野さんが受付をしていること自体がすごい)。また全体のつくりもしっかりしていて安心して見ることができた。藤脇さんの演出力なのだろう。藤脇さんは社長役で出演もしており、大野さんの副社長役と合わせてハマリ役だったのではないか。演出&出演お疲れ様でした。

 さて、(ここからが書くのが怖い)いいことばかり書いても仕方がないので、少し気になった点を書かせていただくと、一つはコミュニケーションのことで少し不自然さを感じていた。台詞に反応するはずが、台詞の前に反応している部分がいくつかあったこと、それから客席を向いての芝居が多くいために、お互いのやりとりなのにそう思えない部分があった。もう少し舞台上のドラマに観客の気持ちが入っていく感覚が得られるのではないか。

 それから舞台転換について。暗転幕は必要だったのだろうか。転換のたびに少し気持ちがとぎれる感覚になってしまったことも惜しいと思う。また転換明けの照明や音響のフェード・イン/アウトは、もっと余韻を持たせても良いのではないか? ジワーっと劇に入っていく感覚が欲しい。転換時の音楽の選曲についても少し気になった。あまりに著名な、にぎやかな曲であること(曲に気持ちがいってしまう)、70年代の音楽であること(現代的な芝居と釣り合うか?)という意味では、音楽が芝居に対してでしゃばりすぎになったのではないか。

 何はともあれ、ウチの公演に向けてもとても刺激になった公演でした。ありがとうございました(ありござ〜)

 

P.S 芸文ホールで海鳴りのまーさん、よーさんと再会を果たし、公演後は斜里で一杯やりました。

 

 

劇団河童第39回一般公演公演
 『ら抜きの殺意』観劇記                     元劇団河童  後藤 美紀

無事、千秋楽おめでとうございます。

何年ぶりでしょうか、河童の生の舞台をみせてもらいました。

ツーステージ両方みてしまいましたので、やっぱり、感想をのべるのが観客の責任かと思いますので一言。

 最初にこの脚本を選んだと聞いた時には、これで今年の公演は失敗では・・と実は思ってしまったのです。劇団河童を見くびっておりました。ごめんなさい。

年々、台詞覚えの悪くなっていくメンバーをみて、この本は無理ではないかと思ったのです。しかし、本番をみてそのことが逆に良い効果がでていたのでおもしろいものです。

最近の何作かは、役者が、力任せというか、自分の間で進んでいくというか、それぞれに力があるためなのか、役者同士が交流していないように見えていました。よく、いわれるキャッチボールがされてない状態です。この脚本では、相手の台詞をすくう台詞もおおく

だいたい、意味がおなじだからいいというのが許されないので、必然的に相手役の台詞をキャッチしようという姿勢になったのでしょうね。投げるほうも同じです。

 しかしながら、台詞の入りは完璧とはいえませんでしたね。海老名氏は台詞も多くて大変だったとは思いますが、もう少しラストスパートかけてほしかったかな。でもこれも、逆に良い効果になっていた部分もあって不思議です。田丸氏はご自分でも熱演型だとおっしゃってますが台詞をかみ締めることで、上ずった感じがなくなっていたように思いました。

田村君は初日の前半は緊張のせいだったのか、声もでていなくて?だったのですが、後半は持ち直しましたし、二日目は動きから違いましたね。彼が軽やかになった分、全体のリズムも良くなって、「芝居はアンサンブル」を実証していました。

若者4人はそれぞれのキャラを生かして好演であったと思います。

特に遠部役の山田さんはむずかしい役を初舞台だとのことですがよくこなしていました。

「自分の気持ちをじぶんの言葉で伝えたい」と恋人に訴えるシーンには胸があつくなりました。

社長妻夫については、藤脇サンは演出との2足のわらじでしたからそれをかんがえると無難にまとめていたかな?大野さんの役作りには少々不満が残ります。力のある役者さんなのであえて要求します。女言葉になっても“きもちわるく”ないんですよね。見た目の通りなんです。甘い衣装も悪いのかもしれませんが、その前の男言葉で話している時の凄みがたりないというか、なぜ、彼女があの言葉使いに行き着いたのか?女としてではなく人間として生きたい、認められたいっていうアイディンティーが役者の中で確立されていなかったのではないでしょうか。私としては、遠部その子と堀田八重子の話で永井愛さんに一本書いてもらいたいくらいです。余談ですがサンタクロースの衣装があんなに似合うなんて、麗子さんって何者?でした。

細野さんのおしゃれなおじ様もよかったです。素敵なおじ様ぞろいの河童になってきてますねえ。それをいかせる脚本はないかしら?さがしてみようっと!

 全体としては、最初に海老名氏がラ抜きに怒るまでの過程、伴が雨宮の言葉に気が付いてから自分も田舎者だと告白してしまうまでの過程がよく、見えなかった。役者の中では作っているのでしょうけど伝わってこない。唐突におもえました。難しいですけどね。

面白い脚本なのであえて笑いをとるようなアドリブ的な演技はいらないように思いましたが、それが演出意図の1つとするならば、もっと強調してもよかったのかもしれません。中途半端な感じでした。たとえば、暗転(これもどういう処理にしていくのかは是非のあるところですが)の前のポーズ決めをもっと誇張するだけでも印象に残るのではないでしょうか。

アンケートにも書いたのですが一日目は最前列で見たためなのか、窓の外の書割が最初なんだかわからなかったのですが、二日目は最後列で、違和感がありませんでしたので、見る角度がわるかったのかもしれません。

 永井愛さんの脚本はハッピーエンドではないのですが、なんだか心があたたかくなるラストシーンが多くて観終わった時に「人間っていいな」と思わせてくれます。すてきな脚本と劇団河童の出逢いに感謝します。

ありがとうございました。お疲れ様でした。

 

 

 

北見工大演劇部第8回公演
 『恋愛戯曲』観劇記                     劇団河童友の会  田丸 誠

 さっき(平成1412月22日、午後4時〜610分)、北見工業大学演劇部の第8回公演『恋愛戯曲』を観てきました。工大学内の施設が老朽化して使用できなくなったということで、学外の北見芸術文化ホールを利用しての公演となり、今回はじめて有料の公演になったそうです。

 工大演劇部には、役者としてこの12月に公演を終えた『ら抜きの殺意』でも部幹部の米嶋君や安田君には大変迷惑もかけ、公演後の片付けも部員の諸君に手伝ってもらいましたので、その個人的なお礼のビール差し入れもかねて、観にいきました。おじさんはこれまで工大演劇部のお芝居は観たことがなく、知合いからは過去の公演について色々な感想を聞いていましたので、「どんなもんだろう」と不安な気持ちで会場へでかけたのですが、私個人としては全体に「善戦」だったと思いました。何せ、鴻上尚史世代の芝居と言えばテンポが速いので、おじさんなら一般公演用には敬遠するところですが、そこを敢てやったというのは工大演劇部にとっての挑戦であったと思うからです。

 芝居の前に幕前で、この頃の流行りなのか「前説」を二人でやっていましたが、間がぬけていて失笑を誘う程度で何の意図があったのか、おじさんには理解不能でした。

 芝居は、売れっ子脚本家=谷山の自宅に、テレビ局の駆け出しのディレクター=向井が台本を受け取りにやってきたところから始まります。脚本家はスランプで、本当の「恋」を体験しなくてはもう「名作」恋愛ドラマは書けないと言い、マネージャーの寺田も向井に恋するようにと強要します。そこへ郵便局強盗をやった杉村と京子が銃とナイフを手に乱入して、全員監禁、家は占拠される。ところが京子が谷山ドラマのファンで。あとはご想像にまかすとして、谷山が書いた台本による劇中劇があったり、「虚実皮膜」の大変錯綜した内容になっています。

 全体、役者連は台詞も入っており、その点では安定していましたが、ただ全体に平板に流れたように思います。つまり、伏線としての言葉を強調して観客に印象づけること、台詞を言うのに精一杯で「言葉を受け・返す」役者同士の交流・間が希薄であったことです。せっかく台詞は頭に入っているのですから、役者がより自由に台詞を楽しむことができるようになれば、さらに良くなったと思いました。

 役者連は、実年齢より上の役が多く苦労しただろうなぁと思いました。

向井役の河野秀樹君は髪を染めていたせいか、新進ディレクターというよりタレントの堂本光一そっくりの印象でした。戸惑いから、積極的行動への変化が今一つ見えなかったのは残念でした。

 谷山役の佐藤恵莉さんはがんばって難役に取り組んでいたと思いますが、緩急のつけ方ではまだまだでした。ハイテンションから落ち込みまで、感情の振幅の変化が見える演技がもっと必要だと思いました。年齢の想定は二十代後半から三十代前半だと思いますが、服装で相当損をしていると思いました。ノンスリーブスのとっくりセーター、チェックのスカートと流行靴では若すぎて、その様な年齢とは到底思えませんでした。

 寺田役の横山聖二君も年齢設定が四十代ですから、実年齢からはなれて相当苦労したと思います。谷山を屈折した形で寺田が愛しているとすれば、場面場面での嫉妬もまた一筋縄にならない表現になると思います。なかなか難しい「大人」の役なのですが、少々単純化しすぎていたかも知れません。服装ももう少し工夫がほしかったです。

 京子役の葛木美保さんは、役者は初めてとか。頭の軽い役と思い込みすぎたのか、全体のバランスから外れていたように思います。これは演出の責任でもあります。初心者なのですから、適切なアドバイスをして彼女がとるべき演技を積極的に引き出すことが必要であったようです。

 杉村役の荻山恭規君は、おいしい役をやったと思いました。地なのか、ちょっとイカレタつっぱり役にはぴったりでした。ただ、ここでも京子との関係、また「役」=強盗犯と「役者個人」=雇われ俳優の違いを印象付ける表現がもっと欲しかったですね。

 裏も演技が要求されるわけで、大道具はなかなかの出来だったとは思いましたが、重要な2階のドアがしっかり開閉できなかったのは問題であったと思います。あれで興ざめした場面が何回もありました。壁面も2階の踊り場に向井が立つと頭が出てしまっていたが、あれも斜めに壁面を造形して処理したりすると良かったのですが

 照明は暗転が多く時間の経過を示す上で重要なのですが、ホリゾントの処理で難点があったように思います。窓の照明処理も中途半端であったようです。

 音響は台詞のやりとりがあった場合はBGMを絞るべきで、聞きづらい場面が度々ありました。

 柴田直幸君が演出したそうですが、劇と劇中劇の違い、どんでん返し、正に「虚実皮膜」をどう演出するかが、むずかしかったようです。芝居をあまり観たことのないお客さんにとっては難解な作品で、休憩なしの2時間10分の芝居だけに、退屈させない、めりはりをつけた総合的な表現が演出として求められていたと感じました。

 とはいえ、私のような台詞が時々抜けるマダラ呆けのおじさんと違って、工大演劇部の皆さんのクリアな心身は色々な可能性を秘めているわけで、うらやましいかぎりです。次回も現状に甘えることなく、更なるレベルの創造に立ち向かってください。楽しみにしています。

 

 

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