感激!観劇雑感 2010年版 |
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1 | 釧路演劇集団 2010年(平成22年)10月30日(日) | |
「フユヒコ」 田丸 誠 | ||
2010年(平成22)10月30日(日)18時 北海道立釧路芸術館アートホール 『フユヒコ』 (作 マキノノゾミ 演出 尾田 浩)
田丸 誠 |
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2010釧路市芸術祭参加・釧路演劇集団第38回公演、マキノノゾミ作・尾田浩演出の『フユヒコ』をレポートします。 会場は北海道立釧路芸術館アートホールで、10月30日(土)昼13時30分と夜18時の2回、翌31日(日)は昼13時30分の計3回公演で、私は30日の夜の公演を観ました。 30日の昼は札幌からの北海道演劇集団観劇ツアーもあって、事前に五十嵐理事長から阿寒一泊のお誘いもあったのですが、釧路図書館で調べ物がありましたので、泣く泣くお断りしました。(多分、この夜はこの芝居を肴に楽しく盛り上がったことでしょう。) 受付の話ではその昼の部の参加者数は90名余だったそうで、私が観た夜の部は70名くらいだと聞きました。 18:00開演、19時5分から10分間休憩、20:15分終演。 この芝居の荒筋は、北海道演劇集団のホームページ、2009年10月25日劇団海鳴り公演の『フユヒコ』観劇雑感にも書きましたが、念のために再度紹介しておきます。 この『フユヒコ』のモデルは夏目漱石門下生の一人で、物理学者で文筆家でもあった寺田寅彦で、その一家の昭和9年(1934)12月24日から大晦日までの8日間の出来事です。昭和9年というと、その3月に「満州国」では溥儀が皇帝につき、日本の植民地としての体制が強化され、国内では北海道、東北が大凶作で秋から冬にかけて欠食児童や娘の身売りが社会問題化になった年でした。昭和6年(1931)9月の満州事変勃発から昭和20年(1945)の敗戦までの15年戦争の、東京山の手の上流階級の束の間の「平和」なホームドラムですが、意識的に避けたのか、本としてはそのような時代背景の書込みはありません。 話は冬彦(浅太郎)が長男の康一(尾田)から来た電報を受取って、後妻のりん(上西千鶴子)が楽しみにしていた伊香保温泉に行くのを中止して、散々歩き回って上野から帰ってきたところから始まります。長女の早月(ゆみこ)は、ストレートに感情を表現するこの義母を、死に別れた生母と比較して強く非難します。義母に理解を示すのは留守番にきていた次男の秀二(たまだまさき)だけでした。そこに電話があって、次女・秋子(藤井さおり)をめぐって喫茶店で乱闘が起きて、警察で保護されていることが知らされます。 25日、りんは芝居見物に出かけ、禁足を言いつけられ秋子は以前付き合っていた男と別れるために友人の沢木登(浅野俊規)を新しい恋人にしたてて暴力事件になったことを姉に話します。帰ってきた康一は北大講師になったことを報告し、一家は喜びに沸きます。 26日、冬彦の研究仲間で研究所長である貴族の大河内正親(高橋悌司)を招いて就職祝いの酒宴を開き、皆が和気藹々やっているところへ、ゴロツキ新聞の記者が冬彦に面会を求め、金を渡さなければ例の暴力事件を新聞に載せると強請ってきましたが、冬彦は拒否します。冬彦は招き猫を抱えて、その頭を撫で回しながら、このことを皆に伝えると秋子は卒倒してしまいます。 27日、りんは秋子には今回の事件が良いお灸だと言い、兄弟は有り金を叩いて秋子の目にふれないように近所の新聞屋から大量の新聞を買占めて家に持ち帰りますが、置く場所がありません。りんはその新聞を自分の寝室に入れさせますが、その前に秋子は新聞を盗み出してしまいます。責任を感じた沢木が弁明に家にやってきますが、冬彦は聞く耳を持たず頭から交際を禁止し、それを聞いた秋子は招き猫を投げて壊してしまいます。 雪が降りしきる28日、秋子はりんが用意した旅行カバンを持って家出し、「今に帰ってくる。」というりんを除いて、探し回る兄弟と姉。りんがひそかにした電話で、秋子が家出したことを知った沢木は必死に友人を尋ね回り、やっと分かった家出先を知らせにやってきて、疲労と寒さでその場に昏倒してしまいます。 29日には秋子とも連絡が取れ、家族全員安心します。 30日、秋子は無事戻り、お詫びのお土産は招き猫。姉も招き猫を買ってきました。長男は新聞の買占めでお金がなくて小さな招き猫。二男は家にあった福助。冬彦も招き猫。りんも招き猫。これで仲直りといったところに、沢木からこの事件に責任を感じてのお詫びの電話があり、誠意を感じた冬彦は将来を考えて就職の口利きを約束します。 大晦日、さっき子供たちの勧めで再度旅行に出かけたはずの夫婦が戻り、りんは怒って部屋に籠もり、冬彦は招き猫を抱えてうじうじ。そこに招き猫を土産に大河内が登場、自分が招かれざる客であることを察知した彼は早々に退散。ここで幕です。 舞台装置は下手に茶の間、上手に応接間と、海鳴りの舞台と基本的に同じでしたが、釧路演劇集団の舞台では正面にあったアップライトのピアノがなくなり、代わりに外套掛けが置かれていました。りんの不満解消の貯金箱であり、冬彦のストレスを誤魔化す重要な道具である「招き猫」は上手の壁前に置かれた茶ダンスの上にあり、目立ちませんでした。 ピアノが無いのは、大河内を招いて家族で三重奏する場面をカットした結果のようです。この場面を釧路演劇集団がどのようにやるのか、私は楽しみにしていたのにズルイですね。 それにしても外套掛は本来玄関付近にあるべきもので不自然ですから、茶ダンスを正面に据えて、この芝居の象徴ともいえる「招き猫」ははっきり見せるべきでした。 また電話が玄関脇にあるような設定で、壁の後ろで科白が言われていましたが、これも違和感を感じました。電話を囲んで家族が固唾を呑んで聞き耳をたてる重要な場面があるのですから、やはり電話は応接間に置く方が良かったと思いました。 冬彦のナレーションは海鳴りと違い、はっきりと聞こえ、意味がわかりました。ただ、客席天井あたりから声が聞えてきたのは、意識が分散して私の感覚では頂けませんでした。舞台の方から聞える方が自然な気がしました。 役者の方はベテラン揃いですから、安心して観ていました。 冬彦役の浅太郎さんは、わかりやすい父親のつくり方でした。浅太郎さん本来のキャラクターからすると、こんな天邪鬼でウジウジした性格の役は大変だったのではないでしょうか。 りん役の上西さんがすごく良かったです。気が強く、冬彦はじめ家族と何かと摩擦を起こしてしまうが、それなりに家族のことを思っているりんが、時々みせる寂しげな顔や可愛げのあるところなど、見所がありました。 長男・康一役の尾田氏は演出も兼ねてですから、大変お疲れさまでした。少々老けていましたが、実直で気のきかない長男であることが分かる演技でした。 秀二役のたまださんは次男の性格について研究したそうで、そつなくこなしていたと思いました。私は次男ですから考えてみると、親たちから姉や兄が叱られるのを見て育ち、摩擦を起こさない、怒られない要領の良さを知らず知らずのうちに身につけているようですから、秀二が良い意味で客観的なのはそのためでしょう。 早月役のゆみこさん、秋子役の藤井さんたちは発声も山の手のお嬢さんらしく、うまく交流して姉妹の会話も弾んでいて、お二人とも素敵でしたよ。 大河内役の高橋さんは2度目の舞台と感じさせぬ達者な演技で、軽妙に演じていましたが、少しすべり過ぎていた場面も感じました。特に長男に冬彦の研究の意味を諭す場面は一本調子で軽く流すのではなく、思いを込めて諄々と説いた方が良かったでしょう。 沢木役の浅野君も2度目の舞台で健闘していたと思いました。これからが楽しみです。 尾田演出でいつも感心させられるのは、役者をうまく交流させているところです。ただ、今回は暗転処理で時間がかかったのと、喜劇であることを意識しすぎて余計な演技があったせいか、海鳴りにくらべてテンポが悪かったような気がしました。 それと細かいことですが、男性の衣装が戦前のものとは考えられない派手なセーター類を多用していたのはどうしたものでしょう。特に大河内は貴族なのですから、いくら気心のしれた家に招かれたにしても赤いセーターでは訪問しないと思いました。 懐中時計の鎖の処理も、冬彦の着物の襟に引っ掛けたのは見苦しく、間違いだと思いました。単純に袂に入れて処理して良かったでしょう。大河内の鎖もベルトに止めるか、チョッキのボタン穴を通すべきだったでしょう。 愚にもつかないことを書き連ねましたが、来年もまた北見から釧路に出かけ、釧路演劇集団の芝居を是非観たいと思っています。これからもどうぞ良い芝居を創って下さい。期待しています。 (2010年11月9日) |
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