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こんどう しじょう

近藤至誠

こんどう しじょう

1875.12.18(明治8)〜 1940.7.6(昭和15)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(大佐)、風船爆弾考案者

埋葬場所: 8区 1種 15側

 愛知県出身。1897.11.29(M30)陸軍士官学校(9期)卒業。同期に大将に昇進した者が6名おり、阿部信行・真崎甚三郎・松井石根・荒木貞夫(8-1-17)・林仙之(7-1-5)・本庄繁(13-1-4)である。他に大平善市(後に中将・6-1-5-15)、大村齊(後に中将:21-2-19)、武川寿輔(後に少将・15-1-15)らがいる。
 陸軍運輸部本部部員を経て、'13.8.22(T2)少佐に進み、歩兵第52連隊付となり、'14.8.10 歩兵第52連隊大隊長に就任した。この頃、デパートのアドバルーンを見て「風船爆弾」での空挺作戦への利用を思いついた。軍に提案をしたが採用されなかった。'15.8.10 台湾歩兵第2連隊大隊長、'16.11.15 台湾総督府陸軍副官を務める。'18.7.24 中佐に進級し、歩兵第23連隊付となり'21.2.19 陸軍運輸部本部付を歴任。'22.8.15 大佐に昇進し、甲府連隊区司令官に補された。'23.8.6 待命、同.9.1 予備役となる。軍籍を離れたことで、構想していた「風船爆弾」を自ら研究を行うことを決心。
 国産科学工業研究所の名で気球研究所を設立し、一畏問人として研究を進め、多くの機器開発がなされたが、中心をなす気球の素材に絹、ゴム等は欠点があり、強靱で軽い和紙が構想に上り、和紙問屋の協力を得て、試作が続けられ、こんにゃく糊で強化加工した和紙が採用された。 '33(S8)頃より関東軍、陸軍による研究協力も得、実用化に向けて開発がなされていたが、近藤は正式兵器として制定された日を待たず病没。従四位勲三等。葬儀委員長には士官学校同期の荒木貞夫陸軍大将が務めた。


墓所

*墓石は和型「近藤家之墓」、裏面「皇紀二千六百年 近藤誠夫 建立」。右面「陸軍大将男爵荒木貞夫書」と刻む。左側に墓誌が建ち「従四位 勲三等 近藤至誠」のみ刻む。なお左隣の「細川家」とは墓所が一体型になっているため娘の嫁ぎ先など親類関係であると思われる。

*茨城県天心記念五浦美術館の近くに「風船爆弾放流地跡 忘れじ平和の碑」が建つ。


【風船爆弾】
 秘匿名称は「ふ号兵器」という。編成名は気球連隊が母体となり『ふ』号作戦気球部隊といった。
 近藤らは、東京の紙商小津と埼玉県小川の紙屋(産地問屋)との協力で風船爆弾用の紙が開発した。 風船爆弾用の紙は六尺(約二百センチ)×二尺二寸(約七三センチ)の紙に、別に漉いた二尺二寸四方の紙を三枚並べて貼り、 二層にした。 糊はコンニャク糊で二十数回塗り重ねた。日本紙業の伊野工場等が機械漉きの試作を担当し、約一年で 量産態勢ができあがっている。近藤没後は、神奈川県の陸軍登戸研究所で開発が進められた。
 風船爆弾の作戦は、和紙で大きな気球を作り、爆弾を乗せ、約一万メートルの高空に浮揚させ、当時日本だけがその存在を解明していたジェット気流(偏西風の流れ)を利用して、日本本土から直接アメリカ本土空襲を行うものである。 気球の直径は約10m、総重量は200kg。兵装は15Kg爆弾一発と5kg焼夷弾2発である。 1944.11.3(S19)から翌年4月までの偏西風が日本からアメリカ側に流れる時期を利用し、千葉県一ノ宮と茨城県大津、福島県勿来の各海岸の三か所から秘密裡に約9300発の気球が放球された。 このうち、アメリカ合衆国で確認されたのは277発であるが、未確認のものもあるため実数は不明である。
 アメリカ本土では、小さな山火事や停電を出した程度で人的被害はほとんどなく、'45.5.5オレゴン州の子供一名が不発弾に触れ亡くなったのみである。 なおこれは、太平洋戦争においてアメリカ本土で日本軍の攻撃によって死者が出た唯一の事例とされている。余談であるが、日本では風船爆弾の製造中の事故で6名の死者を出している。
 全く戦果はあがらなかった風船爆弾であったが、アメリカ側は「風船爆弾に細菌爆弾などの生物兵器が搭載されているのではないか」「日本兵が風船に乗って本土に潜入するのではないか」などの、心理的効果は絶大で、アメリカ側は風船爆弾対策にかなり神経質な問題ととらえており、風船爆弾関連のメディア規制を徹底した。 これは日本側に戦果を知られないため、アメリカ住人たちの精神的ダメージを与えないためとされている。 なお日本は終戦までアメリカ本土での風船爆弾の結果は知らなかったとされる。加えて、アメリカは終戦までその脅威を払拭することができなかった。 このようにアメリカ政府は厳しい報道管制を敷いていたため、日本軍には情報が入らず、「風船爆弾は効果無し」と判断され攻撃を中止している。

<日本史辞典など>


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