歴史が眠る多磨霊園


きむら しゅんきち

木村駿吉

きむら しゅんきち

1866(慶応2)〜 1938(昭和13)

明治・大正期の物理学者

埋葬場所: 7区 1種 5側 3番

 幕臣の木村芥舟の子。 1888(M21)理科大物理科を卒業し、一高教授に任じたが、内村鑑三(8-1-16-29)が起した内村事件で休職。 93米国留学。帰国後、二高教授となる。のち海軍教授、技師となる。 1900松代松之助と共に日本海軍式無線電信の通信を行い、約8哩の距離で成功し、04にはこれを完成した。 日本海海戦の「敵艦見ゆ」の警報は木村の制作した無電によって発せられたものである。 12(T2)退職。15には工業的オゾン発生装置を発明した。余生を弁理士として送る。

<世界人名辞典(東洋篇)東京堂出版>

 


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