祖父は宮内顧問官などを務めた木戸孝正(同墓)、父は宮内政治家の木戸幸一(同墓)。母のツルの父は児玉源太郎(8-1-17-1)。その次男として出生。兄の木戸孝澄氏はご存命であり、日銀勤務後、日本勧業角丸証券常務などで活躍。
弁護士となり父の木戸幸一が戦後東京裁判でA級戦犯と判決が下るまで、その弁護にあたった。弁護にあたる際、法廷に提出した木戸日記は大きな反響を得た。しかし、父はA級戦犯とされてしまう。
その後も弁護士として活動。1975(S50)JAF理事となり、1990(H2)6月から同副会長に就任。富士ゼロックスの取締役なども歴任した。生前、新華族侯爵木戸家の歴史的所蔵物を寄付するなど歴史研究者に対して貢献。
2000.8.15午後0時40分、胃がんのため死去した。享年77歳。通夜は密葬とし8月17日、近親者ですまされた。
*墓石は和型「木戸家之墓」、裏面「昭和三十年六月建之」。左側に墓誌が建ち、俗名と没年月日が刻む。
*祖父の孝正の先妻の好子(よしこ:同墓)は木戸孝允の唯一の実子であったが、孝正と結婚してすぐ18歳の若さで亡くなっており子はいない。孝正は後妻に壽榮子(すえこ:子爵の山尾庸三の娘:同墓)を迎えている。その長男が父の木戸幸一(同墓)。孝正の二男で叔父は、木戸孝允(桂小五郎)の生家の和田家を継いだ和田小六(18-1-1-2)。和田小六は航空機構造学の権威。母のツルは児玉源太郎(8-1-17-1)の四女。兄は日本勧業角丸証券常務などで活躍した木戸孝澄。弟は木戸孝信(同墓)。
*同墓には木戸孝允の養子の木戸忠太郎も眠り、地質学者・達磨収集家。忠太郎の妻の千子(同墓)は内務官僚・貴族院議員の小野田元熈の娘。
*山口藩士の木戸孝允(桂小五郎)は幕末維新に際し活躍し、維新後、参議・文部・内閣顧問等を歴任し、西郷隆盛・大久保利通と並び「維新の三傑」と言われた。その功により、孝允の養子の木戸正二郎が侯爵を叙爵した。正二郎の後は孝正、幸一と侯爵を引き継いだ。木戸孝允(桂小五郎)の墓所は京都市東山区・護国寺。