静岡県出身。本名は田靏。旧姓は三谷。父は横浜の貿易商の三谷宗兵衛、母は こう。再婚同士で、父方の最初の妻との間に教育者の三谷民子(19-1-1)がいたため異母姉にあたり、母方の最初の夫との間に時代小説家の長谷川伸がおり異父兄にあたる。田鶴子は男三人女五人の三女として生まれる。長兄は法哲学者の三谷隆正(19-1-1)、次兄は外交官の三谷隆信(19-1-1)。
父が商売に失敗したため、父の郷里である京都府与謝郡で育つ。1911(M44) 姉の妙子が在学する東京の女子学院に入学する。妙子は後に聖書学者の山谷省吾に嫁ぐ(共に11区1種16側17番:信濃町教会員墓)。25歳年上の異母姉の民子は女子学院の一回生であり、のちに院長を18年間務めた教育者である。この当時の民子は女子学院の学監であったため、両親は教育や監督を任せていた。
長兄の隆正の第一高等学校の学友であった川西實三(同墓)が、田鶴子を見染め、'18.3(T7)女子学院高等科二年修了後、同.4.6 富士見町教会で結婚。結婚にあたり夫の川西實三が準備したのは、羽仁もと子の考案の家計簿だったという。
'21 夫は国際労働機関の帝国事務所政府代表随員としてスイスのジュネーヴに赴任する際に同行し、ローザンヌを経てジュネーブに転居した。長男の信三(1919.3.19-1920.7.3)、二男の早男(1920.9.13:死産)は早死し悲しい出来事が続いたが、この地で誕生した三男の瑞夫(1922.3.27生)は掌中の珠だった。
'26 帰国。病弱の瑞夫の健康を考え、神奈川県逗子に家を借りて移る。また女子学院で英語と聖書を担当した。その後、長女の薫(1927.6.12-2022.3.7)、4男の剛(1929生)、5男の進(1931.10.24生)が生まれる。
'32(S7) 家事育児の傍ら「婦人之友」の読者組織である友の会に入会。子供会で聖書の話を担当した。'33 久木(ひさぎ:逗子市)に自宅を建てる。夫が埼玉県、長崎県、京都府の知事となると同行し官舎住まいとなる。田鶴子は各地で友の会に入り活動をした。
'41 夫が東京府知事となり東京に戻る。この時期は戦争への色濃い時代であり、知事の妻として愛国婦人会東京府支部長に就任。この頃、瑞夫や子どもたちは夫の後輩の矢内原忠雄(2-2-1-19)が主催する自由ヶ丘家庭集会に入っていた。子どもたちが信仰の師として仰いでいる矢内原のお茶の水公開聖書講義に参加した。時流に流され、知事の妻として太平洋戦争遂行の先頭に立っていた田鶴子は、戦争を批判し平和を唱える矢内原の信仰の姿勢に大きな衝撃を受ける。自身の複雑な気持ちとは裏腹に、'42 夫は東京府知事を退官し、東條英機の命で三大婦人団体を統合する大日本婦人会の発起人になり、発会後は理事長を務める。その妻という立場であり、また東條英機の妻の勝子からよく電話がかかってきたため、とても気を遣う立ち位置であった。
'43.2.13 東京帝国大学在学中であった瑞夫が20歳の若さで亡くなる。これを機に子どもたちが入会していた自由ヶ丘家庭集会に入会した。集会に出かけるときは周りを警戒して参加したという。'45.4.1 三谷民子の最期の数か月を看取る。また、夫の川西實三と共に瑞夫の遺稿集『聖翼の蔭に』(1945)を出した。なお後に川西瑞夫を著者として田鶴子が編集した『みつばさのかげに 川西瑞夫の生涯』(1965)も出している。
'48 逗子に戻る。朝鮮戦争のころ、友の会の旧友に非戦と平和維持を聖書の言葉を引いて訴えたのがきっかけで、毎月一回聖書の講話をする。やがて友の会と別組織にし、めぐみ会と名付け、東京にも同様の会、泉会を持つが会員の多くは友の会の会員だった。戦争中に翼賛体制に加担し戦争協力を悔い、非戦を誓い、二つの会を大切にし、93歳まで活動を続けた。
享年100歳。没後、2003 田鶴子が著者、川西薫・川西剛・川西進の編集として『主に負われて百年 − 川西田鶴子文集』が刊行された。
<キリスト教人名辞典> <「時代を拓いた女たち 第Ⅱ集」江刺昭子+史の会>
*墓石の前面「みつばさのかげに 川西家墓」、裏面が墓誌となっており、1歳で亡くなった長男の信三(1919.3.19-1920.7.3)、死産の二男の早男(1920.9.13:死産)、21歳で亡くなった三男の瑞夫(1922.3.27-1943.2.13)のみが刻む。墓所左側に墓誌が建ち、この三名から刻みが始まる。人事興信録では瑞夫が長男とされているが、実際は3男である。
*川西實三と田鶴子は最初の男子三名を早くに亡くしたが、その後、1女2男を儲ける。長女の川西薫(1927.6.12-2022.3.7:同墓)は女子学院理事。4男の川西剛(1929生)は東芝副社長・日本半導体の父。5男の川西進(1931.10.24生)は英文学者・東京大学名誉教授。
第486回 太平洋戦争勃発時の東京府知事 国威発揚 労働問題の権威 川西實三 川西田鶴子 お墓ツアー
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