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やないはら ただお

矢内原忠雄

やないはら ただお

1893(明治26)〜 1961(昭和36)

大正・昭和期の経済学者

埋葬場所: 2区 2種 1側 19番
(清き岸べに 矢内原家)

 一校時代より内村鑑三(8-1-16-29)や新渡戸稲造(7-1-5-11)に私淑。東大卒業後、一時住友別子銅山に勤め、1920(T9)東大助教授。23教授。 37(S12)中央公論に「国家の理想」を発表、反戦思想として右翼・軍部らに攻撃され辞職。 38より個人雑誌「嘉信」を発刊、自宅に土曜学校を開設、信仰を通じて平和と真理を説き続けた。戦後東大に復帰、47経済学博士。 東大社会科学研究所初代所長・経済学部長・教養学部長を経て、51南原繁(3-2-11-2)の後を継ぎ東大総長に就任。 53退官、名誉教授。「帝国主義下の台湾」(1929)はロシア語などに翻訳されて世界に広く読まれた。 他に「帝国主義研究」「イエス伝」「余の尊敬する人物」、翻訳クリスチーナ「奉天三十年」などがある。

<コンサイス日本人名事典>


*長男の矢内原伊作(同墓)は哲学者、文芸・美術評論家。

*忠雄の三男の矢内原勝(1926-2003 慶応大学名誉教授、開発経済学者)の墓所は谷中霊園。


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