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なんばら しげる

南原 繁

なんばら しげる

1889(明治22)〜 1974(昭和49)

大正・昭和期の政治学者

埋葬場所: 3区 2種 11側 2番

 東大卒業後、内務省に入り、富山県射水郡長などを務めたが、1921(T10)東大助教授となり、在外研究のため渡欧。帰国して25教授、政治学を講じた。 内村鑑三(8-1-16-29)の無教会派プロテスタントで、自由主義的立場を守り、戦時中も軍部に迎合しなかった。43(S18)「国家と宗教」刊行。 終戦後、東大総長となり、占領下において学問の独立を主張、その訓示や講演は警世の言として注目を浴びた。講和問題では全面講和を唱え、吉田茂首相と対立。 また改憲の動きが出てきてからは憲法問題研究に参加、護憲の学問的支柱となった。51東大総長退任。69学士院院長に就任。日本政治学会理事長も務め学界に重きをなす。

<コンサイス日本人名事典>


 


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