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やないはら いさく

矢内原伊作

やないはら いさく

1918.5.2(大正7)〜 1989.8.16(平成1)

昭和期の哲学者、文芸・美術評論家

埋葬場所: 2区 2種 1側 19番

 愛媛県出身。父は経済学者の矢内原忠雄(同墓)。1941(S16)京都大学文学部哲学科卒業。'42海軍予備学生として従軍。 '45台湾の高雄で終戦を迎える。翌年帰国し、法政大学講師となる。'47学習院大学助教授。'51大阪大学文学部助教授。 '54フランス国立科学教育センター(CNRS)から招かれ、渡仏。'56帰国を前にジャコメッティのモデルをつづける。 '57、'59、'60、'61の毎夏、ジャコメッティのモデルをつとめるためにパリで過ごす。'66同志社大学文学部教授。 '68ブリティッシュ・コロンビア大学客員教授。'70法政大学文学部教授、後に名誉教授、'89(H1)3月退職。同年死去。享年71歳。
 主な著書に『顔について』(1948)、『海について』(1949)、『ジャコメッティ』(編著、1958)、『京都の庭』(1960)、『サルトル』(1967)、『ジャコメッティとともに』(1969)、『若き日の日記―われ山にむかひて』(1974)、『対談 ジャコメッティについて』(1983)、『芸術家との対話』(1984)、『矢内原伊作の本』(全5巻、1986-87)、『矢内原伊作詩集』(1994)、『矢内原忠雄伝』(1998)がある。 また、訳書には、カミュ『シジフォスの神話』(1951)、アラン『芸術について』(1960)、ネルーダ『マチュピチュの高み』(1987)、『ジャコメッティ エクリ』(共訳、1994)ほか。


アルベルト・ジャコメッティ Alberto Giacometti
1901年10月10日〜 1966年1月11日
20世紀の彫刻家
 スイスのボルゴノーヴォ出身、近郊のスタンパで育つ。父はスイス印象派の画家ジョバンニ・ジャコメッティ(1868−1933)。母のクノ・アミエトも画家であった。 年子の弟ディエゴ・ジャコメッティ(1902−1985)は兄の助手およびモデルを務め、後には家具製作者となった。 ジュネーブの美術学校、ジュネーブ工芸学校で彫刻を学んだ。1922パリへ出て、1925ころからキュービズムのブロンズ像を創る。 1930年代はシュールレアリスムの影響を受けた。『午後4時の宮殿』はこの頃の代表作。 1940年代から彼独特の細長く、痩せた、繊細な細いフォルムの彫刻の人間像をつくるようになった。 晩年は絵画や版画などの平面芸術の作品も多く残した。スイスのクルにある州立病院で逝去。お墓はボルゴノーヴォの教会にある。


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