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かげやま ていさく

景山呈作

かげやま ていさく

1872(明治5.3)〜 1929.8.1(昭和4)

明治・大正期の陸軍軍人(大佐)

埋葬場所: 21区 1種 29側

 広島県出身。1894.7.27(M27)陸軍士官学校卒業(5期)。同期に金谷範三(後に大将:1-1-2-20)、吉田豊彦(後の大将:9-1-8)、木村戒自(後の中将:7-2-32)、田村守衛(後の中将:1-1-2-22)、津野一輔(中将:3-1-22-1)、村岡長太郎(7-1-1-1)らがいた。同.9.18歩兵少尉に任官。
 1907.6.6 少佐に進み、歩兵第15連隊大隊長に就任。'10.11.30 熊谷連隊区司令官を経て、'12.3.9 歩兵第2連隊大隊長 兼 台湾歩兵第1連隊大隊長 兼 台湾歩兵第1連隊付となる。'15.8.10(T4)中佐に進級し、歩兵第28連隊付、'16.11.15 弘前連隊区司令官を歴任し、'18.7.24 歩兵大佐に昇進。
 '21.7.20 待命、同.11.1 予備役編入。'28.4.1(S3)後備役。正5位 勲3等 功5級。享年57歳。北秋田市に「忠魂碑(陸軍歩兵大佐景山呈作書)」が建つ。

<陸海軍将官人事総覧 陸軍篇など>


*墓石前面「景山分家奥津城」、右面「陸軍歩兵大佐 正五位勲三等功五級 景山呈作」、歿年月日と行年は五十八歳と刻む。右側に墓誌が建つ。景山呈作から刻みが始まる。妻はキヨ(S14.8.21歿・行年62才)。長男は景山誠一(S53.7.28・行年79才)、誠一の妻は富美(H15.4.11歿・行年88才)。誠一の子で孫は相撲ライターの景山忠弘(同墓)。


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