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うめもり ひでお

梅森豪勇

うめもり ひでお

1889.12.25(明治22)〜 1954.10.16(昭和29)

明治・大正・昭和期のキリスト教伝道者

埋葬場所: 23区 1種 60側

 岩手県出身。中学校を中退して東京に出て、1911(M44)救世軍士官学校を卒業。山田弥十郎の副官として伝道と廃娼運動に従事。健康を害して救世軍を去る。
 快復後、中田重治(19-1-3)に招かれてホーリネス教会で伝道、さらに組合派の今治教会で伝道したのち、東京に出て、植村正久(1-1-1-8)に師事した。
 この間、'13 二葉保育園の母である野口幽香と徳永恕にスラム街の視察の案内をしたことで懇意となり、'17 徳永恕の妹の幾美(全員同墓)と結婚。
 植村正久の仲介でシンガポール在住の日本人歯科医の要請を受け、'17(T6)妻と共に同地に開拓伝導に赴く。困苦の中に伝道を進め、'19 日本基督新嘉坡教会を設立。同年、一時帰国し、日本基督教会教師試験を受け合格、按手礼を受ける。
 再び同地に戻り、遊郭街、ゴム園、鉱山の奥地などマレー半島各地からスマトラまで伝道を進めた。太平洋戦争勃発と同時にイギリス官憲に捕らえられ、抑留生活5年ののち、終戦後 '46 帰国。 再生不良性貧血のため逝去。享年64歳。没後、'77 藤原藤男の編著『梅森豪勇と南洋開拓伝道』が出版された。

<キリスト教人名辞典など>


墓所

*墓所に墓石は3基。右は自然石で前面に「二葉保育園の母 野口幽香 徳永恕 ここにねむる」。右側に墓誌が建つ。墓所真ん中に自然石「大屋久壽雄 家」、裏面に大屋久壽雄の没年月日が刻むが他に刻みはない。この墓石は母の大屋ムメが建立したため、母のムメ、妻の歌も眠る。墓所左側に洋型「梅森家」。裏面が墓誌となっておりキリスト教伝道者の梅森豪勇から刻みが始まる。豪勇の妻の梅森幾美は徳永恕の妹であり、二葉保育園の理事を務めた。

*妻は徳永恕の妹の幾美(S51.11.4歿)。梅森幾美は二葉保育園の理事を務めた。娘の梅森公代は徳永恕の後を継いで二葉保育園の理事長に就任。

*名前のヨミを「ごうゆう」とする書物もあったが、キリスト教人名辞典記載「ひでお」として紹介する。


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